男前が電撃引退!! 阪神藤井彰人捕手(39)が今季限りで現役引退することが12日、分かった。体力面の不安などで引き際を悟り、ユニホームを脱ぐことを決意。近鉄、楽天でのプレーを経て阪神で5年間、奮闘した。球団内でコーチとして評価する声もあり、来季から就任する可能性も浮上した。今日13日にも西宮市内で引退会見に臨む。無我夢中で駆け抜けたプロ17年の歩みを日刊スポーツへのラストメッセージに込めた。最後まで捕手であり続けようとした「男前」が選び取った引き際とは…。

 もう潮時なのかなと思っています。プロに入って17年も、ようできたなと。何年も前から、やめるときは「引退したい」という気持ちが心の中にずっとありました。体も変なところが痛くて、動けへんのも多少はある。その一方、まだやりたい自分がいるのも確か。でも、タイガースにお世話になって、タイガースでユニホームを脱がせてもらうのもいいかなと思います。

 今季最終戦だった10月4日の広島戦で、家族を呼んで、引退セレモニーをすればいいと球団には言っていただき、すごく感謝しました。でも、クライマックスシリーズ進出の可能性もあった。先に引退を公表してしまえば、9月29日DeNA戦でバッテリーを組むメッセンジャーに失礼だと考えました。必死に投げてくる相手に僕も最後まで苦しみながら、やめればいい。それが真剣勝負です。確かに惜しまれながらやめる形もあると思う。ファンの方には申し訳ないです。でも29日、甲子園には家族や両親に来てもらい、知人や友人にも来てもらい、いったん、自分の中では、最後だとけじめをつけました。

 僕は身長170センチもない体に、ものすごくコンプレックスがありました。プロ野球にも入れない体です。170センチか175センチなければ最初から入団テストの資格すらない。98年に近鉄に入団したとき「見とけよ!」という気持ちでやっていた。選手名鑑に170センチと載っていますが、実は168センチです。昔、嫌やから、170センチと書いたまま変えていません。プロ野球は、大きい人ばかり。ブロックで飛ばされたり、何回もケガをしました。脱臼、捻挫、骨折も味わいました。

 プロに入ったとき、中学の監督に「お前、いい背番号をもらったな。31番。人の3倍、努力して1番になれ」と言っていただいた。長くプレーできたのは近鉄時代あってこそ。山下和彦コーチ(01~04年近鉄バッテリーコーチ)には「まず捕手は守りをしっかりせえ! 捕ることと止めることと投げること。捕手は、この3つだけや」と言われました。特に「投手に低めに放ってこいと言うんやったら、ワンバウンドは絶対にそらすな! それが信頼関係や」とね。まず、それをやらないと1軍で出られない。捕手として投手に認めてもらえないと思いました。言葉とか仲がいいとかじゃなくプレーで示さないと投手は信用しない。それが捕手の仕事だと。僕は大きい人より、素早く動ける。自分の長所にしようと決めました。

 17年間で、もっとも思い出深いのは04年9月24日の近鉄(本拠)最後の試合です。大阪ドーム(現京セラドーム大阪)で星野さんがサヨナラ打を打ちました。本拠地ラストゲームでした。球団がなくなる現実のなかで、あの日、梨田昌孝監督が「お前らの背番号は近鉄最後の永久欠番や」と言ったときに、みんな号泣して。的山さんたちが周りにいた。この人たちと一緒に野球するのが最後だと思うと、つらかった。悲しかった。みんなと野球できひんねやと。

 6年プレーしていた楽天からFA宣言したとき、どの球団もなくて初めて終わりかなという感覚だった。そんなときに阪神の真弓明信監督から「どこもないんか? ジョー(城島健司)が手術したんや。うちに来てくれんか」と誘っていただいた。喜んで…。大阪やし、また野球ができる…。子どものころは阪神が好きで真弓さんのファン。顔面に死球が当たったこともあります。いろいろありましたが、仲間の存在が僕にとってすごく自信になった。

 「男前」のニックネームの仕込みは金本知憲さんでした。移籍1年目に新井とヒーローインタビュー。ベンチ裏で金本さんに「こうやって聞いてくるから、こう返せ」ってアドバイスされて。最初は「イケメンと言え」と言われました。「イケメンって感じじゃないですよ…」って言い返して。「そうか。男前やったらええやろ。男前はいろんな意味があるやろ。人として男前とか。男前でええわ」って。その様子を聞いていた新井が「男前ですか?」とね。それが始まりです。

 阪神で1、2年目だったかな。能見に「藤井さん、僕のフォークをそらしたことがないですね」と言われたことがあります。捕手として当たり前のこと。やって当然。ファインプレーにもならない。「アイツのフォークをそらしたらアカン」と思ってやっていたら、そう言ってきた。初めて後ろにそらしたとき謝ったら「初めてですね」って。ちょっと捕手としてうれしかったです。そう思っていてくれていたのかと。こそっと1人で喜んでいました。

 何の取りえもない。遠くに飛ばすわけでもなく、肩が強いわけでもない。ましてや足が遅い。何度も山下さんに言われました。「ワンバンそらして誰が低めに投げるねん。負けるのは投手やぞ」。何かこう、捕ることを自分の取りえだと思って17年間やってきました。(阪神タイガース捕手)

 ◆藤井彰人(ふじい・あきひと)1976年(昭51)6月18日、大阪府生まれ。近大付2年夏に甲子園出場。近大を経て、98年ドラフト2位で近鉄入団。04年オフの近鉄・オリックス合併に伴い、分配ドラフトで楽天移籍。08年リーグトップの盗塁阻止率4割2分9厘。エース岩隈久志と相性がよく、08年同投手と最優秀バッテリー賞を獲得。10年オフにFA宣言し、阪神へ。移籍1年目の11年から、14年を除く4シーズンで捕手としてチーム最多出場を果たす。13年にもセ最高の盗塁阻止率3割7分1厘。170センチ、80キロ。右投げ右打ち。