まさかの二刀流! 阪神のドラフト1位高山俊外野手(22=明大)が1軍宜野座キャンプ合流2日目の26日、三塁守備を行った。サブグラウンドに全体練習を終えた高山が姿を現すと、待ちかまえていた平田チーフ兼守備走塁コーチが衝撃の一言を発した。「サードやるぞ!」。ざわつく周囲をよそに高代ヘッドコーチ、最後は金本監督まで登場。黄金ルーキーの三塁テストが突然始まった。

 高山 高校の時に内野をちょっとだけやっていたので。やったことあるのかと聞かれたので、やったことありますと答えました。

 野球を始めた小学1年時から主に遊撃手を務めていたが、日大三1年で外野手に転向。実に7年ぶりの内野ノック。もちろん、内野グラブを持ってきておらず、ドラフト6位板山から借り、21球のノックを受けた。高山への三塁ノックの狙いを、指揮官が明かす。

 金本監督 内野がどれくらい出来るか。出来るだけ難しいポジションでやらせたい思いがある。明治の先輩の高田繁さんも外野からサードに行った。外野から内野は高田さんくらいしか例がないから。きっちりやるには秋のキャンプで集中してやらせてみて、となるかな。

 これも何かの縁か。指揮官が名前を挙げたのは、くしくも高山が塗り替えた東京6大学最多安打記録の前保持者、DeNA高田繁GM(70)。高田氏は巨人新人時代の68年から外野手として活躍。しかし、75年オフに当時の長嶋監督にコンバートを命じられ、三塁転向した経緯がある。高山は今秋から本格的に三塁挑戦、2年目以降は外野と三塁の「二刀流」で勝負することになりそうだ。

 高山 (今後は)分からないです。明日、頑張ります。

 今日27日の韓国・サムスン戦、三塁ではなく外野でスタメン出場予定。まずは1つの刀で活躍してみせる。【梶本長之】

 ◆外野手から内野手への転向 高田繁(巨人)は76年、張本勲の日本ハムからの加入を受け左翼から三塁へ。「塀際の魔術師」と異名を取った外野守備の名手が、同年から2年連続で三塁手のダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を獲得した。内野手がプロ入り後に外野転向し、その後再び内野に戻るケースでは、77年に外野手で98試合に出場した真弓明信(クラウン)が翌78年は遊撃にコンバートされ、ベストナインとなった(真弓は同年オフ阪神移籍し、85年には再び外野手に転向)。近年では稲葉篤紀(日本ハム)が、プロ入り後に外野手となり、4度ゴールデングラブ賞を受賞した後、12年に一塁手としても選ばれた例がある。