【前回】2011年5月20日。楽天の小山伸一郎投手(当時32=現2軍投手コーチ)と嶋基宏捕手(当時26)が、バーカウンターで肩を並べていた。夜も更けているが、2人ともグラスに口を付けていない。
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「人生を変えたい」。小山が切り出した。嶋は黙っている。
「中日にドラ1で入って、うまくいかなくて。無償トレードで楽天に拾ってもらった。ありがたかった。自分の場所があるだけでうれしかったし、今までガムシャラに投げてきた。でも、何かきっかけがあればまた、人生が変わる気がする。勝負したい」
人生を変えたい? 私は、彼が球団にポスティング移籍を訴えるのだと直感した。メジャーが好きで「ポスティング、マイナー。僕らしくていいでしょ」と屈託なく笑っていたが、あながち…と思って聞いていた。気のおけない嶋に打ち明けたのだろうと解釈して、そのまま別れた。
2日後のナゴヤドームで真意を知る。試合前の練習を終えた小山が、鬼の形相、いかり肩でロッカーに引き揚げてくる。他の投手よりタイミングがずっと早い。球界の常識として、当日の先発を意味していた。記録班に聞くと、11年ぶりの先発はブランクの日本記録だという。
けだし至言、と聞いていた深夜の告白は、まさか先発だったとは。いつも明るい彼からは考えられない劇画調と、嶋の険しい顔を思い返して、一個人として緊張してきた。1人の人間が分水嶺(れい)に立つ。どちらに流れるのか。
ナゴヤドームの日刊スポーツ記者席は本塁のほぼ真後ろにあり、投手の球筋がよく見える。早めに入り、スコアブックに中日のスタメンを記した。1番から荒木、井端、森野、和田、ブランコ、平田、グスマン、谷繁…強い。しかも投げ合う投手は吉見だった。でも、彼はやってのけるんじゃないか。心配と同じ量の期待があった。
バッテリーだけを見ていた。小山に落ち着きがない。リラックスさせようと、嶋が肩を回すしぐさをしている。力みから球筋がシュート回転して、ベース板に交わってこない。1回、打者11人、被安打5、5失点。勝負できず、あっという間にスコアブックが真っ黒になった。2回59球で挑戦は終わった。小山は試合後、「何もないです」とだけ言った。
星野監督も「アイツしかおらんだろう」と台所事情を起用の理由とし、多くを語らなかった。ただ、18歳の彼を中日のドラフト1位で指名したのは、他ならぬ自分だった。仙台に赴任した秋季練習の初日、元気いっぱいの姿を見つけ「明るいなぁ。まだ頑張ってるんか」と喜び、気にかけていた。無償トレードされた古巣の本拠地で、11年ぶりに先発させる。千載一遇のチャンスを用意し、人生を変えてあげたかったのではないか。
5年後の6月5日、再びナゴヤドームである。小山はコーチとなり、副会長となった星野仙一に駆り出され、1軍の助っ人としてブルペンに入っていた。中日の先発は、あの日投げ合った吉見だった。試合前のきれいなマウンドを見つめて言った。
小山 この球場には、あんまりいい思い出がないですね。
-先発のこと?
小山 それだけじゃないです。中日時代、もがいてましたから。いろいろあったので。
-でも今、コーチとして、請われて1軍にいる
小山 まぁ…。そう言えば格好いいですけど。いきなり来て、自分にできることはそんなにありません。攻める気持ち。切り替え。ちょっと背中を押してあげる。そんな感じで。
-また来るよ。いつか分からないけど
小山 僕もファームに戻ってるかも知れないし。会えるかは分かりませんね。チームのために頑張ります。
球団ブースには、厳しい顔で選手たちを見つめる星野副会長の姿があった。
-小山コーチ、1軍に呼んだんですね
星野 アイツしかおらんだろう。
当時の言葉と重なって、眉間のしわが解けた。なぜ彼を先発に? 聞こうと一瞬よぎったが、やぼだと思ってやめた。
愛憎入り交じって時が流れていく。小山はナゴヤドームで野望を抱き、押しつぶされても腐らず、またはい上がり、ナゴヤドームに戻ってきた。激流も、枯れそうなときもある。揺られながらも転覆せず、カヤックのごとく乗り越えていく過程が面白い。(敬称略)【宮下敬至】