プレーバック日刊スポーツ! 過去の10月4日付紙面を振り返ります。2009年の1面(東京版)は、楽天が初のクライマックスシリーズ出場決めるでした。

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<楽天14-5西武>◇2009年10月3日◇Kスタ宮城

 杜(もり)の都、仙台が歓喜でわいた。楽天が、初のクライマックスシリーズ(CS、16日から)出場を決めた。3日、Kスタ宮城で西武に14-5で大勝。9連敗中だった苦手の左腕帆足を1回から1発攻勢で攻略。球団新となる1試合5本塁打、今季最多の14得点の猛攻で、昨年の日本一をねじ伏せた。球団創設5年目。万年Bクラスだったチームを、今季限りでの退任が決定的な野村克也監督(74)が就任4年目にして育て上げた。残り7試合で2位を確保し、地元でのCSを迎える。

 重い体をゆっくりと動かすと、ベンチの奥から歓声と光の中へ歩をすすめた。野村監督の姿が見えると、今季最多2万901人が詰め掛けた満員のスタンドから大歓声が沸き起こる。「お客さんがすごく喜んでたよ。終わった瞬間の歓声が、一段とすごかった」と、スタンドを見上げた。苦悩の3年を乗り越え、就任4年目で球団初のAクラス。シーズン前の予告どおり、年齢と同じ数の74勝目で決めた。会見場に姿を見せると「バンザーイ! はい、みなさんも、はい、バンザーイ!」とおどけてみせた。日本一を3度取った名将が、悲願達成に高々と両手を挙げた。

 圧勝ムードの中で、静かにその時を待っていた。天敵帆足を攻略し、球団初の1試合5本塁打。先発青山も5点を奪われたが、最後まで投げきった。「(点差が)離れたのはいいねえ。見てて楽で」。勝利の瞬間、笑みがなかったが「そっち(CS)の方が荷が重いからさ。気持ちがそっちに行ってたよ」と、照れくさく笑った。

 強運に守られた知将の予言は、ことごとく当たった。「(自然現象の)エルニーニョが起こる年は、おれは強いんだよ」と言ったのは8月30日。そこからチームはこの日で18勝10敗と加速した。今季の開幕前にキーマンに指名した田中も期待に応えて14勝を挙げた。昨年の岩隈(21勝)に続き、またも的中。「不思議だなあ。エルニーニョだな。『ノムニーニョ?』 フフン」と得意げだった。創設以来Bクラスだったチームは、野村監督によって無形の力を与えられた。

 就任3年目だった08年の春季キャンプで、選手を集めて監督人生で初めて優勝を宣言した。畑を耕し、種をまき、実らせる。当時弱小だったヤクルトを就任3年目で優勝を遂げたことと、創設1年目は38勝しかできなかった楽天を重ねていた。ナインも「絶対、監督を胴上げしよう」と燃え、初優勝を目指した。だが結果は最下位ギリギリの5位。野村楽天は完成していなかった。契約の1年延長の末、仕切り直しの4年目。「阪神ではだれも聞いてなかった」というミーティングを、春季キャンプでもう1度繰り返した。育ちの遅いチームに丹念に水を与えると、少しずつ実がつき始めた。「正直なところ、無理なんじゃないかと思ったから、結果的にAクラスに入れて御の字だよ」。CS進出の結果こそが野村イズムの浸透を示していた。

 昨年の日本一西武に堂々と打ち勝ち、CS進出が決定。「やれやれ、第1関門突破。あと2つ関門、トンネルがあるのか。手放しでは喜べないな」と引き締めた。地元でのCS開催権確保まであと5勝。「何としても仙台でやりたいからな。1つでも多くの試合をできるようにする。それが(ファンへの)唯一の恩返しだよ」と、次なる目標を見定めた。日本一への道が続くが「(関門は)2つでええやろ。楽天にとって日本シリーズはお祭りだから」とはぐらかした。CS進出はまだ第1幕。集大成の野村楽天が見せ続ける夢は、まだ終わりを見せない。

 ▼楽天が球団新の1試合5本塁打で3位以内を決めた。この日は3番鉄平、4番山崎武、5番草野が1発を放ち、クリーンアップそろい踏みも球団史上初めてだ。05年に誕生した楽天は今年5年目。球団創設から5シーズン目までに3位以内に入ったのは10チーム目。2リーグ分立の50年以後に誕生した9チームの中では、1年目に優勝のロッテ(当時毎日)、2年目に2位の西武(当時西鉄)に次ぐ早さでの3位入りとなった。

※記録や表記は当時のもの