「世界の王」の生みの親が亡くなった。ソフトバンク王貞治球団会長(70)の実母、王登美(とみ)さんが16日に肺炎のため東京都内の病院で死去したことが17日、球団から発表された。108歳だった。富山県出身。愛情を惜しみなく注ぎ、時に優しく、時に厳しく、王会長を育て、通算868本塁打の記録樹立を支えた。葬儀・告別式は故人の遺志で密葬で行われる。

 登美さんの前では「世界の王」ではなく、1人の息子だった。16日、午後7時36分、肺炎のため、最愛の母が他界した。王会長が球団を通じて出したコメントに、愛情がにじみ出ていた。「108歳の天寿を全うしてくれました。長い人生でさまざまなことがあったと思いますが、力強く生きてくれたことは、息子として誇りです」。

 1940年5月生まれの王会長が、5歳を迎える年の春のこと。東京大空襲があった。当時を振り返ったことがある。「空襲の記憶はあまりないんだ。どうしてかと言うと、母の背中におぶわれて寝ていたから」。戦火の中、体を張って子どもを守り通したのが、父仕福さん(故人)と登美さんだった。登美さんは仕福さんと結婚し、2男3女をもうけた。東京・墨田区で中華料理店「五十番」を営みながら、子育てした。

 巨人現役時代の77年9月3日、756本塁打を放った際には、後楽園球場で観戦。セレモニーの様子は、今年福岡ヤフードームに完成した「王貞治ベースボールミュージアム」でも写真展示されている。王会長がダイエー監督就任以降は、福岡まで時折足を運んだ。パ・リーグ連覇を達成した00年10月7日には、胴上げされる姿をスタンドから見つめていた。

 王会長は双子として生まれたが、姉広子さんは1歳3カ月で亡くなった。幼少時代に病弱だったこともあり、登美さんからは広子さんが自身の病弱な一面を持っていってくれたと言われたという。感謝の心を忘れない人間に育ってほしいとの願いが込められ、その教えを守ってきた。

 王会長にとっては、85年に父仕福さん(享年84)、01年には恭子夫人(享年57)、そして2年前には兄鉄城さん(享年78)を亡くしており、またも悲しみに見舞われた。8月15日から東京を離れていたため、最期をみとることができなかった。この日発表されたコメントの締めくくりは、その母に話しかけるような言葉だった。「これからは父親(仕福さん)のそばで、まずは出会いを楽しんでほしいです」。世界の王を生んだ母登美さんが、天国で待つ仕福さんのもとへ、旅立った。

 [2010年8月18日11時31分

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