<西武11-5阪神>◇12日◇西武ドーム

 拭っても拭っても、涙がこぼれ落ちた。西武菊池雄星投手(19)が阪神戦でプロ初登板初先発を果たし、そして号泣した。2回1/3、6安打4失点でKOされたものの、打線が奮起して逆転勝ち。チームの連敗は5で止まった。直球の最速は147キロを計測した。左肩を痛め、当時の2軍コーチによる暴行騒動の当事者となるなど苦難続きだった1年目。試合後にはここまでの道のりに思いをはせ、大粒の涙をこぼした。チーム事情でいったん出場選手登録を抹消されるが、貴重な経験を糧に再び1軍マウンドを目指す。

 菊池は泣いていた。直球を、スライダーをはじき返された3回途中KOの悔しさなのか、1軍マウンドで投げた充足感なのか。「プロに入ってから簡単にというか、うまくいかなかったので…」と言った後が続かない。沈黙の中で何度も目頭を拭き、はなをすする。「去年のことはすべて自分に必要な経験だったのかな、と。誰にも話せない悩みとかがあって、いろんなことを言われたり書かれたりして。(ファンの)声援を聞いて報われました」。絞り出した声が震えていた。

 天国と地獄を見てきた。入団時は誰からも持ち上げられた。それが結果が伴わないと、いわれのない非難も受けた。投球フォームや練習方法から果ては人間性まで。「誰を信じたらいいのか、分かりません」。大物新人の宿命に人間不信寸前だった。

 ケガが苦悩に拍車を掛けた。「バッティングは良くないし、走り方も変と言われる。ピッチャー以外できない。できなくなったら終わりなんです」と自らを評したことがある。「去年、野球をやっていなければどれだけ楽なんだろうとかも考えました」。1回の初球に迷わず選んだ145キロ直球から、3回ブラゼルに右前に運ばれたスライダーまで53球。すべてのボールが耐えてきた日々の証しであり、万感の思いの結晶だった。

 どん底の菊池を導いてくれる人たちがいた。昨年、誕生日(6月17日)を翌月に控えたころのこと。大迫トレーニングコーチが部屋をノックした。1軍担当だったがアポなしで訪れ、ナイター前の時間を割いて1時間、練習への取り組みなど諭すように話したという。最後に言われた。「1カ月後、19歳になるまでに変わった姿を見せてくれ」。今年の春季キャンプでは先輩選手に初めてゴルフに誘われると、それを聞いた小野投手コーチが「今の自分に大事なことは何か考えなさい」と言った。だから誘いを断って休養に充てた。親身に、苦言を呈してくれる人がいたから、ここまで来られた。

 3月11日、東日本大震災が起きた。被害を伝えるテレビ画面を直視できず、ろくに眠れない毎日。プロ入り以来めっきり減っていたニキビが増えていたのは、偶然ではないだろう。「8月31日、盛岡の楽天戦で投げられたら」。故郷東北を勇気づけたい思いは自然と強くなった。17日が20歳の誕生日。1年遅れでも、誕生日を前に1つの階段を上った。投げて泣いた。投げられず、泣くこともできなかった1年前の雄星はもういない。【亀山泰宏】