<2006年8月22日の日刊スポーツ紙面から><全国高校野球選手権:早実4-3駒大苫小牧=再試合>◇21日◇決勝・引き分け再試合
3連覇ならず。北の怪物、力尽く…。南北海道代表の駒大苫小牧が引き分け再試合となった決勝で、早実(西東京)に3-4で惜敗した。1回途中から救援登板したエース田中将大(3年)は7回1/3を投げ、4安打4奪三振も3失点を喫した。チームは20日の延長15回引き分けと2試合計24イニング、5時間33分の死闘の末、涙をのんだ。公式戦の連勝記録は「48」、夏の甲子園の連勝は「14」でストップした。
全身全霊のフルスイングだった。1点差に詰め寄った9回表2死走者なし。打席の田中は早実のエース斎藤に「男と男」「力と力」の勝負を挑んだ。ファウルで2球粘った7球目。144キロの直球に、銀色のバットが空を切った。
聖地に響くサイレンが最後の夏の終わりを告げた。「自分のスイングができました。見逃しじゃなく、空振り三振で悔いはありません」。マウンド上でNO・1ポーズを掲げる早実ナインに背を向け、ゆっくりとダッグアウトに向かい、静かにバットを置いた。最後まで涙は見せなかった。
高校野球人生のラストゲームで力尽きた。1回裏2死一、二塁のピンチに先発菊地翔太(2年)からマウンドを引き継いだ。2回と6回に長打を浴び、それぞれ1点を失った。7回は先頭打者の死球から追加点を許した。「相手の方が一枚上でした」。香田誉士史監督(35)は「取られても1点で抑える。あの子のすごさであり、勝負強さです」とねぎらった。
大会NO・1投手の座を相手エース斎藤に譲った。この日の最速は自己記録に7キロ及ばない143キロ。理由は明確だった。大阪入り直前に発熱で体調を崩した。開幕前は腸炎による下痢に苦しんだ。おかゆしか口にできず、初戦で脱水症状に陥り、バランスを崩した。大会中にフォーム修正を余儀なくされた。「終わったこと。言い訳にしたくありません」。この日も自身に黒星こそつかなかったが、高校最後の甲子園は、怪物らしさを取り戻せないまま終わった。
チームの連勝は「48」でストップした。昨春の北海道大会以来448日ぶりの黒星で夏甲子園の連勝も「14」で止まった。しかし、73年ぶりの偉業にあと1歩まで迫ったエースの遺伝子は後輩の胸に深く刻み込まれた。菊地は「ピンチでも粘り強く、強気な投球を見習いたい」。今大会出番のなかった対馬直樹(2年)は「普段の生活、練習に取り組む姿勢…。人間として尊敬できます」と敬意を表した。
まだ、夢は終わらない。決勝終了後、日本高野連から全日本選抜チームのメンバー18人が発表された。本間篤史主将(3年)とともに名を連ね、日米親善試合(29日出発、ニューヨークほか)で同世代のメジャーリーガー候補たちと対戦する。さらに今秋の高校生ドラフトで地元日本ハム、巨人など複数球団の「1巡目指名」が予想される。進路を問われ「上でやりたいと思います」ときっぱり。「プロですか」の問いに「そうです」と即答した。
閉会式終了後だった。2日がかりの死闘を終えた駒大苫小牧ナインは静粛を取り戻した甲子園で「感謝」の胴上げを行った。香田監督に続き、186センチ、83キロの強固な体が計3度、聖地の空を舞った。両肩にテーピングを施し、今大会6試合計52回2/3を投げ、54三振を奪った。「たくさんの人たちの応援が力になりました。感謝の気持ちでいっぱいです」。春夏の甲子園通算で計12試合8勝0敗の成績を残した。記録にも、記憶にも残る、エースだった。【白船誠日】



