<巨人8-1阪神>◇17日◇東京ドーム
村田!
阿部!
からの…村田だ!!
巨人が破壊的な“3連発”でお返しだ。85年の阪神対巨人(甲子園)で、伝説のバックスクリーン3連発を浴びてから28年。同じ4月17日の伝統の一戦で、2回に村田修一内野手(32)の3号ソロ、3回に阿部の3号ソロ、4回に村田の4号ソロの3イニング連発でやり返した。7回にはボウカーの6号2ランも飛び出し、1試合4発で豪快に四半世紀を超えてのリベンジに成功。貯金は早くも10に到達し、巨人の独走が止まらない。
新しい伝説は男・村田のバットとともに誕生した。4回1死。右打者が逆方向に打った打球には見えなかった。「ガツン!」。野太い打球音を響かせ、高速ライナーがライト最前列に飛び込む。巨人移籍後、初の1試合2発。「1本目が早い打席で出たので、2本目も出るかなと思った」。2打席連発を予感していた。
この快感を追い求めてきた。「強く、そして思い切り振る」。昨季はこの理念を封印した。FA移籍1年目。開幕直後のチームの不振で、率先してバットを短く持ち、打開を図った。横浜で築き上げたスタイルと違うことは自分が一番分かっていた。つなぎの打撃を「楽しいか?」と聞かれて、語気を強めて言い返したことがある。「楽しいわけないだろう。でも勝たないといけないから」。苦渋の選択だった。
「今年は何があっても自分のスタイルを変えない」。誓いを立てた。強振することだけではない。男らしさを外見から押し出した。昨季はユニホームのズボン丈を膝下まで上げるオールドスタイルで臨んだが、今季は丈を足元まで下ろすことにした。「日本の皆さまが、いい子にならなくていいと言うので」。日焼けサロンに通った。体重は変わらないが、精悍(せいかん)さが増し、相手に与える威圧感が違った。
この日は伝説の日だった。85年4月17日の甲子園での阪神対巨人戦でバース、掛布、岡田によるバックスクリーン3連発が飛び出た。当時4歳だった村田には当然、記憶がない。だが後に目にした映像で「すげぇな」と長距離打者としての心をくすぐられた。
4月17日に行う伝統カードは28年ぶり。2回は村田が長い滞空時間を経て左中間スタンドに8試合ぶりの1発をたたき込んだ。3回は阿部が苦手とするスタンリッジから右中間スタンド上段まで運んだ。同投手からは22打席ぶりの安打で初本塁打。「ずっと打てていなかったので、打席の位置を変えたり工夫した」(阿部)。そして村田の4回の本塁打で3イニング連続本塁打の新伝説が完成した。
7回にはボウカーがリーグトップタイとなる6号2ランでチーム3年ぶりの1試合4本塁打。村田を今カードから7番に据えた原監督は「(闘争心に)火がついたんじゃないか」と感じた。28年前の一戦で本塁打を打った指揮官は「打ったのは覚えていないなぁ。打たれたのは覚えているんだけどね。何てコメントすればいいか…」と懐かしそうだった。当時の阪神を上回る破壊力で貯金は10。「まだ、後ろを振り返ることなく。分かりません」。本塁打という花火の余韻に浸ることはない。優勝という有形の目標へ、巨人が前進を続ける。【広重竜太郎】
◆1985年(昭60)4月17日
伝説の「バックスクリーン3連発」が生まれた。阪神-巨人2回戦(甲子園)の7回。1-3と2点差を追う阪神は2死一、二塁から3番バースがバックスクリーンへ逆転3ラン。続く掛布もバックスクリーンのわずか左へ本塁打。さらに5番岡田もバックスクリーン弾を放った。打たれた投手は3発とも槙原。巨人は9回にクロマティがこの日2本目の本塁打。さらに原(現監督)も2者連続弾を放って5-6と1点差まで追い上げたが、届かなかった。この年の阪神は219本塁打とリーグ記録を更新し、21年ぶりのリーグ優勝を飾った。



