日本ハムが来季、07年までヘッドコーチなどを歴任したOB白井一幸氏(52)の招聘(しょうへい)を目指していることが19日、分かった。1軍内野守備コーチで、作戦担当として要請しているもよう。白井氏はヒルマン元監督の参謀として06年に44年ぶりの日本一に貢献し、球団史上初のリーグ連覇を果たした07年に退団。受諾が濃厚で、実現すれば7年ぶりの古巣復帰になる。若手の指導力、戦略構築に定評ある人材。今季最下位からの巻き返しを期す栗山英樹監督(52)のサポート役として期待される。

 就任3年目となる栗山監督の来季新体制の切り札が、決まった。白井氏の入閣が濃厚なことが判明した。近年、躍進を遂げてきた日本ハムの屋台骨を築いた功労者の1人。球団内部、ファンからも待望論は根強かった。この日までに球団側は正式に要請したもようで、同氏も受諾する方向とみられる。ポストは1軍内野守備コーチで、作戦担当も兼務する形になりそう。今季は札幌ドームへ本拠地移転後10年目で初の最下位と低迷。球団側は来季以降の再建を目指し、その旗手として白羽の矢を立てた。

 チーム再興への積極人事になる。白井氏は83年に駒大からドラフト1位で入団した、生え抜きOB。96年にオリックスで現役引退後は「強い日本ハムをつくることが夢」と公言し、指導者として第一線を歩んできた。名門ヤンキースへのコーチ留学などを経て00年からは、日本ハム2軍で監督などを務め若手の育成に尽力。03年のヒルマン元監督の就任に合わせて1軍ヘッドコーチに昇格した。当時は弱小球団と呼ばれたチームの強化へ、先頭に立ってきた1人だった。

 06年に25年ぶりリーグ優勝、44年ぶり日本一を達成。07年に球団史上初のリーグ連覇を果たした。同氏が2軍時代に見いだした前米ジャイアンツ田中賢介らが主力として活躍。来日当初は大味なメジャー流の戦術に偏りがちなヒルマン元監督を側近としてバックアップした。緻密なゲームプランを推進。投手中心の強固な守備力、洗練された機動力。躍進の要因となった源流のスタイルを確立した1人だった。08年に米ロイヤルズ監督に就任したヒルマン元監督の後を追い07年限りで退団していた。

 その後は08年にロ軍特別コーチを務め、11年には横浜の2軍監督に就任。昨季は新球団DeNAの1軍内野守備走塁コーチとして、駒大の先輩にあたる中畑監督の1年目を支え、退団した。白井氏は古巣である日本ハムには強い愛着を持っており、同い年の栗山監督とは野球観で互いに共鳴し合う間柄。カムバックへの支障はないとみられる。球団は来季、栗山監督に阿井ヘッドコーチを交えた、三位一体で改革を図る狙いだ。

 来季1軍はブルペン担当の経験を持つ厚沢チーフスコアラーが投手コーチのメーンへ復帰。今季就任した黒木コーチをブルペン担当へ配置転換するなどテコ入れを図るもよう。今回の組閣の目玉である白井氏が正式に受諾すれば、29日にスタートする沖縄・国頭での秋季キャンプは新体制で船出することになりそうだ。<白井一幸(しらい・かずゆき)アラカルト>

 ◆生まれ

 1961年(昭36)6月7日、香川・志度町(現さぬき市)生まれ。

 ◆経歴

 志度商-駒大を経て83年ドラフト1位で日本ハム入団。96年オリックスに移籍し、同年引退。

 ◆タイトル・表彰

 87年ベストナイン、ゴールデングラブ賞。91年最高出塁率、カムバック賞。

 ◆現役通算

 1187試合3615打数889安打334打点、49本塁打、168盗塁、打率2割4分6厘。

 ◆指導者歴

 97年から2年間、大リーグのヤンキースにコーチ留学。00年に日本ハム2軍総合コーチとして現場復帰し、01年から2軍監督、03年から1軍ヘッドコーチ。05年、ヒルマン監督が実母死去で一時帰国した際は監督代行を務めた。06、07年はヘッド兼内野守備コーチ。08年は大リーグ・ロイヤルズ特別コーチに。11年に横浜2軍監督、球団名がDeNAとなった12年は1軍内野守備走塁コーチを務めて同年に退団した。