新生中日に加わった元広島監督の達川光男バッテリーコーチ(58)が22日、縁の深い谷繁元信兼任監督(42)への“恩返し”を誓った。同じ広島出身。同コーチが広島の現役晩年に、まだ高校生だった強肩捕手谷繁を知ったのがはじまり。あれから四半世紀。就任会見で陽気な達川コーチは表情を引き締め、谷繁新監督の優勝胴上げを「私の夢」と表現した。

 契約を結び、直後に突如設定された就任会見で達川新コーチは「私の夢」を語った。ささやき戦術で鍛えた?

 軽妙なトークを一瞬封印。まじめに言った。

 「何とか私がいる間に、谷繁監督の引退の胴上げじゃなく優勝の胴上げをしたい。優勝の胴上げを味わってもらって引退してもらいたい。それが私の夢でもあり、私の仕事じゃないかなと思います」

 広島で監督まで務めた58歳が捕手としては後輩、42歳の兼任監督に仕える覚悟を「夢」と表現した。実は2人には不思議な縁がある。達川コーチにとって捕手谷繁は“恩人”でもあるのだ。

 出会いは約25年前。当時の広島市民球場だった。ベテランの域に達していた広島達川は、同じ広島出身で、江の川(現・石見智翠館)の強肩捕手のうわさを耳にし、開催中の中国大会を見に行った。お目当ての選手こそ高校生の谷繁捕手。一目で力が分かり、背筋が寒くなったという。

 「彼が広島に来たら2、3年後には(自分が)終わると思った。それから必死にやりました。江の川の谷繁、高校生のおかげで(晩年を)踏ん張って頑張れた。いい刺激を目の当たりにした。ドラフトで当時の大洋に指名された時は恥ずかしながらホッとしたという訳です」

 その後、現役としては敵味方で4年間しのぎを削った。ここでも強烈な思い出が。ある試合で捕手達川が打者谷繁を、ボール球を振らせて三振に仕留めた。すると翌日「高木豊を通じて『あれは意識してボール球を要求したんですか?』と質問が来た。これはすごいキャッチャーになるなと思った」。ある意味、名捕手の予感は当たったわけだ。

 兼任捕手をサポートするため、若手捕手の育成も急務。長年チームが抱える課題の解消に、手腕を発揮することが求められる。広島弁だが、すっかり名古屋人になる覚悟。契約年数は1年のようだが、落合GMから「頑張れば永久にしてあげる。評価されたら死ぬまでやってくれていいと言われました」と“生涯竜”にも意欲。何より、圧倒的な明るさと話術でムードメーカーとなり得る貴重な人材。早速、11月の秋季キャンプ中に仕事をスタートさせる見込みだ。【八反誠】

 ◆達川光男(たつかわ・みつお)1955年(昭30)7月13日、広島県生まれ。広島商で73年夏の甲子園で優勝。東洋大から、77年ドラフト4位で広島入団。ベストナイン3回など巧みなリードでセ・リーグを代表する捕手となった。92年に現役引退。95年ダイエー(現ソフトバンク)のコーチに就任したが1年で退団。98年に広島2軍監督。翌99年に1軍監督に就任し2年間指揮を執った。03年には阪神バッテリーコーチも務めた。右投げ右打ち。