元巨人監督で日刊スポーツ評論家の川上哲治(かわかみ・てつはる)氏が、28日午後4時58分、老衰のため、東京・稲城市の病院で死去した。93歳だった。

 川上氏の長男貴光氏が30日夕方、亡き父の近況を語った。ここ最近はテレビ観戦はできなかったというが、ずっと巨人は気にかけていたという。「いつも応援していました。テレビに向かって『原監督の采配を見ても愛情が深くて我慢強い。俺ならあの投手を代えるな』って言っていました」と懐かしそうに明かした。

 ゴルフも大好きだった。貴光氏によると「エージシュート(年齢を下回るスコア)はもう9回ぐらいやっていますね。だから(ベストスコアは)74とか73とか、そういう数字はあります」と話すほどの腕前の持ち主だった。最後にプレーしたのは09年6月で、89歳だったにもかかわらず「球までカートに乗ってただ打つだけですがハーフは54で回りました」と回想した。

 だが、今年の日本シリーズは、認識できる状況ではなかったという。天国でどういう心境で見ているかと聞かれた貴光氏は「原監督は巨人の後輩で星野監督もNHKの解説で一緒だった。すごく困ったんじゃないですか。どっちも勝てという心境だったと思います」とほほ笑んだ。

 気配りの人でもあった。監督時代にはキャンプ地の宮崎から選手の夫人らにハガキを送っていた。貴光氏は「家庭人としては普通のおやじ。優しさ、気遣い、配慮がものすごくある人でした」と目を細めた。サインにも雅号「徹山」との印を押していたという。ぶれない性格を表している。野球にまい進してきた川上氏ならではだった。【浜本卓也】