<ソフトバンク5-2ロッテ>◇29日◇ヤフオクドーム

 ソフトバンク中田賢一投手(31)が、中日からFA移籍後の初登板で初勝利を飾った。先発して6回2失点。福岡・北九州市出身の右腕は、地元に戻ってうれしい節目の勝利となった。打線もクリーンアップ3人がマルチ安打など中田を援護。2年ぶりの開幕カード勝ち越しを決めた。

 真面目な性格の中田らしかった。お立ち台では笑顔もほどほどに、反省を並べた。「もうちょっといいピッチングをしたかったが、野手の皆さんに助けられた。1試合目でいい1勝をいただいた」。1点リードの6回。先頭の四球から招いたピンチで井口、角中に適時打を浴び、逆転を許した。ただ直後に味方が逆転。失った勝利投手の権利が復活した。FA加入した球団5人目の投手。初登板の白星は初となった。

 シーズン開幕の10日前。父の遺骨がある納骨堂で手を合わせた。07年3月に肝臓がんで亡くなった治英さんは、小学校でのソフトボールの監督だった。生前の口癖は「お前よりうまい人間なんか、なんぼでもおるんやぞ」。その言葉がいつも中田の脳裏にあるから、努力を惜しまない。昨オフはダルビッシュが行っている東京のジムに通った。20種類ほどの筋力トレーニングを2時間以上かけて毎日のようにこなした。

 エリートではない。「僕は雑草ですから。いや、雑草にもなれていないかもしれない」と語る。中央球界では無名といえる北九大の夜間部に入学。最初は最速130キロ中盤しか出なかった。朝晩は授業を受け、午後に野球部の練習。2年春までの1年間は、カラオケ店で時給813円の仕事を午後11時から明け方までこなしたこともある。

 そんな時代を過ごした福岡での登板。ウイニングボールは感謝を込め、観戦した母涼子さん(59)に渡す。「(プロ初勝利の)1つ目は何も言わずにおやじに渡したので、母親も寂しい思いをしたかもしれない。今回は母親にあげます」。

 今年2月、中日入団時の担当スカウトだった渡辺麿史(たかふみ)さんが死去。プロに導いてくれた恩人だった。中田は言う。「おやじが亡くなったのが57歳。渡辺さんも57歳で亡くなった。母親とは『2人は天国で会ってるよ』という話をするんです」。記念の白星を、きっと喜んでくれるはずだ。【大池和幸】