さらば渚-。ヤクルトへトレード移籍が決定したソフトバンク新垣渚投手(34)が20日、ヤフオクドームと雁の巣球場で仲間に最後のあいさつを行った。現役で数少ないダイエー入団組。12年には右肩痛から3年ぶりに1軍カムバックなど、ホークスで12年を過ごした。渚の愛称で親しまれた右腕が新天地へ飛びたった。
今年1試合も投げられなかったヤフオクドームにスーツ姿で立った。別れのあいさつをする新垣は伏し目がちだった。仲間を見ると、復活星のたび作った泣き顔になるからに違いない。「12年間このチームでやって、福岡という土地で生活し、いい思い出がある。離れるのはつらい。野球人として頑張るには、1軍で投げ続けるのが一番。これを再出発という意味であいさつをさせていただきました」。巨大補強もあって2軍調整が続いた。出場機会を欲する本人の思いに、球団も02年自由獲得枠のベテランにトレード移籍という苦渋の判断で応えた。
沖縄水産-九共大を経てダイエー。全盛期の輝きはなくても、渚の愛称で地元から愛され、新垣もホークスのため腕を振り続けた。1つ1つの場面に思いが詰まるが、新人だった03年はプロ選手である喜びを心と体で実感した。「思い出はいっぱいあるけれど、1年目に王会長を胴上げできたのがプロ野球人生で一番の喜びです。あとけがから復帰登板した時も。数え切れないですね」。
2年目から3年連続2桁勝利。06年には自己最多の13勝を挙げた。「投球の幅を広げたい」。07年のシュート挑戦から順調だった投手人生が狂った。新垣最大の武器スライダーの曲がりが薄れ、曲げる意識は逆に指の引っかかりを生んだ。25暴投の日本記録をつくってしまった。調子が上がってこなかった。
09年から右肩痛で2軍暮らしが続いた。12年に1軍マウンドに帰ってくると、見事復活星。お立ち台で「ただいまです」とファンに報告すると、その後は涙、涙だった。3年苦悩した分、号泣した。その後は「スコアボードの球速表示は見ない」と剛球へのこだわりを捨てた。脱力スタイルで1軍を目指すも、定着できなかった。
ドームを離れると、通い慣れてしまった雁の巣球場へ愛車を向けた。2軍の仲間にもあいさつすると、江尻の掛け声でサプライズの胴上げが始まった。入団年に王監督を胴上げした自分が宙に舞って、離れた。
「これで道が閉ざされるわけではない。両方の球団からチャンスをいただいた」。トレード成立に尽力した両球団に感謝すると、最後は決意表明。「右も左も分かりませんが、必死になってやります。失うものはありません。全力でぶつかるだけです」。くじけるたびに立ち上がり、ファンと一緒に喜び、泣いた。新天地でもきっと近いうちに、お立ち台からあの泣き顔を見せるはずだ。【押谷謙爾】
◆新垣渚(あらかき・なぎさ)1980年(昭55)5月9日、沖縄・那覇市生まれ。沖縄水産から九共大。高3時に高校選抜入りし、大学では2、3年時に日米大学野球出場などアマ球界を代表する投手として活躍。高3夏の甲子園で151キロをマークした。02年ドラフト自由獲得枠でダイエー(現ソフトバンク)入団。今季ソフトバンクでただ1人の「松坂世代」だった。家族は夫人と2女。巨人杉内とは夫人同士が姉妹で義兄弟の関係。190センチ、83キロ。右投げ右打ち。推定年俸3300万円。



