あの人の教えがあったからこそ今がある。北海道にゆかりある著名人たちの、転機となった師との出会いや言葉に焦点をあてた「私の恩師」。「歩くフェロモン」がキャッチコピーのグラビアアイドルあべみほ(27)は、石狩樽川中バレーボール部の顧問だった渡辺圭教諭(48=現岩内第二中教頭)との「スポ根」時代が、厳しい芸能界で生きる土台を育んだ。2月の「ミスFLASH2015」で最年長グランプリに輝いた、27歳の遅咲きアイドル。厳格な恩師の教え、切ない初恋など、中学時代の一部始終を、ちょっぴり艶めかしく披露した。

 私の紹介するのは渡辺先生です。あー、怖い。名前を言うだけで怖い。

 中1の時にお姉ちゃんのまねをして入ったのが、小学生にも負けるほど「激弱」のバレー部。その監督が、めちゃめちゃ厳しい圭先生でした。

 一番つらかった思い出は、多くのチームが集まるジュニアキャンプです。消灯が1分でも遅れたら、次の日は1日中お掃除。夜ご飯は自分の食事の他に、大皿でドーン、ドーン、ドーンと、おかずが山盛り。低い声で先生が「あべ。食え」って言うので、泣きながら食べました。

 その後が夜練。開始は体育館をグルグルグルグル30分もランニングです。「1、2、3…」ってかけ声を1人が言い終わったら、列の1番後ろの選手が、全力ダッシュで先頭に行く。転んで倒れることもあったし、吐きに行ったついでにトイレの(タンクの)水を飲んだこともありました。「チクショー」って。

 普段も放課後によく校内放送で「あべ。職員室へ」って呼び出されました。「ネット立てとけ」とか「練習始めておけ」という内容ですけど、呼び出しの声が、いちいち怖い。でも1度だけ、先生が日程を間違えたのか、小樽に練習試合に行ったのに、試合できなかったことがありました。「あべ。どこ行きたい」と言うので「水族館」って言ったら、連れて行ってくれました。オットセイと記念撮影したんですけど、後ろに笑ってる先生が小さく写っていて、やっと距離が縮まりました。

 甘酸っぱい思い出もあります。中2の冬に、1つ上の先輩とお付き合いすることになりまして…。といっても、一緒に帰ったり、お手紙をしただけなんですけど、なぜか1週間でバレて…。「あべ。職員室」って金曜日の朝練の時に呼び出されました。「男とるか、部活とるか。どっちだ。土日の練習試合はお前のせいで断った。月曜日までに決めろ」って。体育館で「ウワー。どうすればいいのー」って声を上げて泣きましたね。

 東京に出てきた頃は、コンクリートの固まりの中の生活になじめず、食欲がなくなったこともありました。でも、くじけそうな時は、キャンプの時に叫んだ「心の7カ条」や、当時の練習を思い出すんです。

 「集合!」って声がかかったら、体育館のどこにいても3秒で先生の前に全員集まる。ダメだと元の位置に戻ってやり直し。何度でも。そんな先生がいなければ、今頃は何事もすぐにあきらめて「もうやりたくない」と弱音を吐いていたはずです。中学生の時に、私の精神力と忍耐力ができたと言っても過言ではありません。

 当時は「やめるのが悔しい」から続けましたが、今も月1回バレーボールはしていますし、私にとっての生涯スポーツ。当時の友達は大切だし、大好きな仲間。先生の下でバレーボールをやって良かったと、心から思います。【取材・構成 中島洋尚】

 渡辺氏 中学生の時は目が大きくて、色黒で、背の小さい印象がありました。明るくて、初対面でも物おじしない強さを感じましたね。当時の指導は、厳しく感じたと思います。

 他の生徒に対してもそうですが、バレーボールに限らず生活面でもしっかりさせたい、礼儀正しく、まじめにコツコツ頑張れる人間になってほしいと思っていました。

 もちろんCMなどに出ているのは見ていて、本人が一番能力を発揮できる場所で頑張ってほしいと思っていました。礼儀正しく、謙虚に頑張り、チャンスをつかんでもらいたいですね。(北海道バレーボール協会指導普及委員会中学副部長)

 ◆あべみほ。本名・阿部(あべ)みほ。1988年(昭63)1月10日、石狩市生まれ。石狩樽川中-石狩翔陽高-北翔大短大。幼少期から子役などで活躍し、短大卒業後HTB「ワンサカ」などに出演していた。11年に上京。身長165センチ、3サイズ82-56-82、股下82・5センチというプロポーションを生かし、同年のミス・ユニバース・ジャパン横浜大会で優勝した。昨年は映画「ハダカの美奈子」に出演。特技はアイロン掛けと色仕掛け、趣味はビーチバレーとカメラ。家族は両親と兄姉。