日本一チケットの取れない講談師。寄席で圧倒的人気を誇る、神田伯山(40)。パーソナリティーを務める、TBSラジオ「問わず語りの神田伯山」(金曜午後9時半)も大人気だ。伯山にとってラジオは「大人の本音が聞ける場所」。講談師としての道のり、古典芸能との出会いにもなったラジオへの思いを語った。【加藤理沙】

★大人の本音

「問わず語り-」は「ラジオの友は真の友」という決まり文句から始まる。

「『渋谷らくご』に講談師として出演して、マクラ(本題に入る前にする世間話や導入部分)がラジオのトークに使えるのでは? と採用していただきました。僕もTBSラジオリスナーでしたから、うれしかった。縁を感じましたね」

伯山は同局「五木寛之の夜」「サタデー大人天国! 宮川賢のパカパカ行進曲!!」などのリスナーだった。「20~25年前のラジオをよく聴いていました。すごく楽しい時間でしたね」。

「問わず語り-」は「何回聴いても楽しい放送」がモットーだ。

「私の頭にある話は私しかわからないと思うのでまず1回やってみる。そして微調整バージョンで2回目の収録を行う。勢いで言ってしまった間違いの言葉は、何度も聞くと“間違い”に意識が言ってしまうのでちゃんと録り直します。リスナーに何度も聴いていただくことを前提に収録しています。もっとも収録1回目は何を話したか覚えていないこともありますね、30分前は前世です(笑い)」

昨今のラジオ放送事情をこう答えた。

「私が熱心に聴いていた時代は文字起こしされないので、のびのびしていたと思うんですよ。テレビスターでも、ラジオでは大人の本音を言ってくれる。炎上なんかなくて、すごく面白かった。ラジオで聴くと悪意がないとわかっても、文字にされると悪意で2次操作しているので、どうしてもディフェンシブな放送になってくるんです。でも私は講談師。誰かの2次創作で炎上はしたくないですが、タレントではないので本質的にメディアの世界で生きていかなくても良いわけです。その特徴を生かして、比較的自由でオフェンシブな放送ができると思っています」

愚痴や他人への悪口、毒舌交じりの軽妙なトークが魅力。自身のコンプレックスも笑いに変える。

「嫌なことがあった時『良いネタができた』と、マイナスがプラスになって、ラジオで話せばモヤモヤが消える。良い商売ですね」

一方で、ラジオの悩みを聞くと「どんどん敵が増えてきて大変」と笑う。

「敷居をまたげば7人の敵あり、どころではなくて。敵は気持ち良いくらい増殖中です。昔はラジオで言っていてもradikoみたいな聴き直すものがなかったのですが、今は文明の進化で本人に届いてしまうという。困った時代です(笑い)」

★初の告白

古典芸能の入り口は、学生時代に「ラジオ深夜便」で偶然聴いた、三遊亭圓生師匠の落語だった。

「僕の時代、部屋に1台あるのはテレビではなくラジオでした。『1人でしゃべってこんな面白いものがあるんだ!』と。そこから落語が好きになり、さらには立川談志師匠が好きになって。談志師匠が講談好きだから講談へ…という流れでした」

落語の世界に引き込まれていく中で講談に出会った。初めは「全然わからなかった」という。

「何年も聴き込んで『宝物を見つけた! しかも、俺しか知らない』という感じ。落語のその先の奥の森みたいな所で、講談を見つけたような。初めて落語を聴いた時と同様、こんなに面白いものがという喜び。今も『面白いですよ』とプレゼンしている感じです」

当時、講談界に若手がいなかった。「何年も入門者ゼロ。なら、聴きたい人を自分がやろうと思いました」。神田松鯉先生の門をたたき、07年に講談の道を歩み始めた。

大師匠の2代目神田山陽の命日、寄席が終わった後に東京・上野広小路亭の楽屋へ「命日の日に来てくれる子は救世主に違いない」というエピソードを携えて向かったが、松鯉先生は不在。後日、面接を行った。

当時を「ある種の告白です、人に告白したことがない僕が。あんなにドキドキしたことはない」と振り返る。「質問は4つほどで、ほぼ一発採用。師匠からは『講談好きか。うそはだめ。盗みもいけない。それ以外は今は何もできなくて良いから』と言われました」。

修業期間は「ダメ前座、Fランク前座」と苦笑い。

「お茶を入れたり、師匠方の着物を畳んだり。怒られた時も普通は謝ると思いますが、僕は下を向いて畳の目を数えて(笑い)。先輩の柳亭小痴楽兄さんがかばってくれたこともありました。私は太鼓もたたけない、気も利かない、打ち上げの席で帰りたい顔をして。ただ、高座は頑張ってネタを増やしました。何もできないけど、いつかは花開くんだと思っていました」

それでも、前座を頑張った理由をこう答えた。

「入門する時、師匠が約束をしろと。『絶対に辞めるな』と。みんながお前にかけた時間、私だけではなく、他の人の気持ちも全部ゼロになってしまうから、修業って苦しいけどやめないでと言われました」

続けて「松鯉師匠はぽかぽかしている芸で、硬軟自由自在に読むんですよ。弟子を見るとおのおの個性があって育っている。名人であり、弟子を育てる名伯楽でもあるので、師匠がいなければ講談師になっていなかったです」。

★生涯の友

二つ目の松之丞時代にはラジオだけでなく、テレビや雑誌など多岐にわたって情報発信を続けた。

「かみさんに『普通じゃないよ、その仕事量』と。全てアウトプットだった時期はつらかった。ただ、長くは続かないからメディア露出も必要だと割り切り、講談を広めようと。二つ目の最後が一番大変で、その頃に『落ち着いたらこうしたい』と思っていた生活に今はなっています」

売れた要因は「運と縁と純粋さでしょうね」と笑顔。

「運の要素は結構あります。ただ、ラジオは全ての基本線にあります。ラジオを聴いて取材を申し込もう、オファーしようなど常に発信源。今までの仕事のきっかけは全てラジオで、それを引っ張ってきたのは講談。今は2本立てです」

ラジオと講談は親和性が高く「パーソナリティーの人となりを知って、講談も聴いてみようと思ってくれる方が多い」。今後のラジオには「ちゃんと表現をしたい」と意気込む。

「私が好きだったラジオもやっていきたい。下ネタも深夜ラジオの文化として言います。悪口も言わない時代だから言いましょうか。もっとも年齢も40なので、過去への敬意と未来への思い。その上で、そんなものにとらわれずにしゃべりたいことをしゃべる私の1週間の日記です」

そして、伯山にとっての講談をこう捉えた。

「古いものはつまらないと思われがちだけど、これがめちゃくちゃ面白いんですよ。そして、木戸銭もリーズナブルです。伝統芸能はリンクしていて、講談の沼にハマるだけで、ドデカい伝統芸能の沼に1歩足を踏み入れて、1度ハマると生涯の友になると思います。テレビやラジオは終わることがある。お客さまも仕事の転勤や妊娠・出産などで来られない時もあると思います。でも、講談は生涯やっている。常に終わらない芸能です、生きている限り。亡くなっても弟子が継いでくれると思います」

▼「問わず語り-」番組ディレクター戸波英剛氏

伯山さんはいい人ですよ。ラジオに対して常に一生懸命だし。二つ目の松之丞時代、誰彼構わずかみ付く野良犬のような頃と比べると、びっくりするほど大人になりました。親になり伯山を襲名し、お弟子さん3人を取り、そりゃ変わりますよ。「昔に比べて毒がなくなった」「えらくなったな」と批判する人もいらっしゃいますが、一体伯山さんに何を期待しているのでしょうか(笑い)。ご自分の心配をしてください。

◆神田伯山(かんだ・はくざん)

本名・古舘克彦。1983年(昭58)6月4日、東京都生まれ。07年に3代目神田松鯉(しょうり)門下に入り、神田松之丞(まつのじょう)を名乗る。12年6月、二つ目昇進。落語芸術協会の同期の二つ目落語家とのユニット「成金」メンバーとして活動。20年2月に抜てきで真打ち昇進、同時に44年ぶりに講談界の大名跡である「神田伯山」を襲名。映画やテレビへ出演のほか、20年2月から公式YouTubeチャンネル「神田伯山ティービィー」も開設。

◆問わず語りの神田伯山

講談界の風雲児・神田伯山の一人語りによる30分番組。特番を経て、17年4月に「神田松之丞 問わず語りの松之丞」として放送開始。20年2月、真打ち昇進及び「神田伯山」襲名に伴い、タイトルを変更した。コンプライアンスに捉われないトークが人気。