大の野球好きとして知られるビートたけし(68)が14日、ABCテレビの特別番組「高校野球100年の真実~心揺さぶる真夏のストーリー~」(関西ローカル、8月1日午後3時30分)の収録に参加した。高校野球をテーマにした番組に初出演のたけしは、人生の岐路などで心に残る高校球児ら3人の名前を挙げ、共演した俳優谷原章介と高校野球を熱く語った。

 少年時代は「野球しかなかった」というたけしは小学校入学前から野球に打ち込んだ。東京・足立区立第4中学に入学すると、当然のように野球部に入部した。そこでとんでもない選手に出会った。

 「てっきり大人だと思っていたら同級生。こりゃダメだ。こういう選手がレギュラーになるんだとあきらめた。ショックだった」

 大人のような同級生は修徳で64年夏の甲子園に出場した故成田文男投手(11年に64歳で死去)だった。成田投手は65年にロッテの前身だった東京オリオンズに入団。スライダーを武器とする右の本格派として68年から20、22、25勝と3年連続で20勝以上を挙げ、70年にはリーグ優勝に貢献するなど、ロッテのエースとして活躍した。

 たけしが野球でトップを目指すことをあきらめるきっかけとなった成田投手だが、同級生が甲子園に出場したときのVTRがスタジオで流れると「あのときはテレビにかじりついてみた。ぜんぜん悔しい思いはなかった」と懐かしんだ。

 もう1人、心に残っている球児がいる。早実の「王2世」と言われた阿部淳一外野手だった。78年東東京大会決勝、早実と帝京。スコアは6-10と帝京が大量リードの7回、当時1年生の阿部外野手が代打で3ラン本塁打を放った。これをきっかけに逆転で早実が甲子園切符をつかんだ。

 当時、31歳のたけしは漫才で行き詰まり「やめようと思っていた」。仕事をサボり、大好きな野球を見ようと神宮球場へ行った。「事務所にナイショでこの試合を見に行っちゃった。あのホームランはすごかった。これが1年生かって思った。つぎの春はこの子が4番だなと思ってずっと気にしていたけど、大会に出て来なかった。(1年の秋に)バイク事故で亡くなっていた。もしあの子が生きていたらとんでもないバッターになっていただろうな」。豪快な一撃を目に焼き付けて、漫才を続けた。

 3人目として名前を挙げたのは星稜の加藤直樹一塁手。79年夏の甲子園で高校野球史に残る延長18回の熱戦を繰り広げた箕島と星稜。星稜が1点リードで迎えた16回裏2死の場面、加藤選手はファウルフライを転倒して捕球に失敗、勝利を逃した。「悲運の一塁手」と言われた加藤選手をずっと気にしていた。

 「この子の人生はどうなるのかと思った。日本中が見ているんだよ。この子、どうするんだろう…。ずっと思っていた」。スタジオで社会人になった加藤さんが営業の仕事で「あの星稜の一塁手です」と“つかみ”にしていることをスタッフから聞いて、たけしは「やるな~」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。

 収録前には聖地・甲子園のマウンドに立った。今年は夏の高校野球100年を迎える。毎年、テレビ観戦するたけしは夏の甲子園を「競馬で言えばダービーだよね。その世代のその瞬間しか勝負できない。(今夏の甲子園に)オレ、売り子で現れようかな」と上機嫌でジョークを飛ばした。

 この夏、聖地を踏む球児へ「1つ、人生の宝物をもらったね、ということ。その思い出で一生を過ごしていいんだよ、と。それと自分の出場の陰に何万人の思いがあることを感じれば、こんな幸せなことはないと思う。負けて、甲子園に行けない子たちがいることだけは頭の片隅に入れておいてほしいな」とメッセージを送った。

 同番組では「天才イチローの運命を変えた雨」「松坂大輔、横浜-PL学園 延長17回の舞台裏」など知られざる真実にも迫る。