ジャニーズ事務所の藤島メリー泰子(ふじしま・めりー・やすこ)名誉会長が今月14日午前、都内の病院で、肺炎のため93歳で死去した。17日、同事務所が発表した。19年に死去した弟のジャニー喜多川氏(享年87)とともに、1962年の創業からジャニーズ帝国を支えた“女帝”だ。現在は娘の藤島ジュリー景子氏(54)が代表取締役社長を務めており、同事務所は本格的に新体制へと移行していく。

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ジャニー氏の死去から約2年、ジャニーズ事務所はまた1つ大きな節目を迎えた。親しい関係者によると、高齢のメリー氏は病院で生活し、最近まで食欲旺盛で元気な様子だったが、急に体調を崩して肺炎で亡くなったという。新型コロナウイルスには感染していなかった。14日以降、所属タレントたちは亡くなったメリー氏のもとを訪れ、最期のお別れを伝えたという。葬儀・告別式はメリー氏の近親者のみで執り行った。

米ロサンゼルス生まれ。62年のジャニーズ事務所創業当時は経理などを担当し、事務所初の所属タレントである初代ジャニーズの衣装制作など、さまざまな形で裏方からサポートした。80年代以降も、近藤真彦(57)ら「たのきんトリオ」や、少年隊の育成などに心血を注いだ。86年初演の少年隊の舞台「PLAYZONE」をプロデュースするなど陣頭指揮をとった。

長年にわたって同事務所の副社長を務めた。社長だったジャニー氏がタレントのプロデュース業に携わっていたのに対し、経営面の実権はメリー氏が握っていた。19年7月のジャニー氏死去を受け、同年9月に代表取締役会長に就任。昨年9月には代表取締役を退任し、実務を娘のジュリー氏に譲る“生前退位”のような形で名誉会長となった。

現場を離れてからも存在感は抜群だった。昨年11月には不倫報道のあった“長男”の近藤に対し「マッチらしく責任をとりなさい」と諭したこともあった。親しい関係者によると、コロナ禍以前は積極的に外食もし、好物のステーキに舌鼓を打っていたという。

最近でも、King&Princeら若手グループの楽曲制作に関わるなど、仕事に対する意欲は衰えなかった。人並み外れたバイタリティーで君臨し続けた希代の“女帝”が、永い眠りに付いた。

◆藤島メリー泰子(ふじしま・めりー・やすこ)1927年(昭2)12月26日、米ロサンゼルス生まれ。3人きょうだいの長女。家族で帰国したが終戦後に再び渡米し、ロサンゼルス・シティー・カレッジを卒業した。66年にジュリー氏を出産。76年には舞台上の「早着替え」に使われる「早変わり衣装」の実用新案を76年に出願。夫で作家の藤島泰輔さんは97年に死去。