【日刊スポーツ06年8月13日付「日曜日のヒーロー」】

 俳優生活55年。三国連太郎、83歳。西田敏行(58)とコンビを組む「釣りバカ日誌」で親しみある経営者を演じて、老若男女から愛される好々爺(や)の印象が強くなったが、かつては怪優と呼ばれたほど狂気を内包した異色俳優だった。その歩みをたどると演技の魅力にとりつかれ、家庭も顧みない不器用な男の生きざまが浮かび上がった。

 三国にとって夏は、10年前から「釣りバカ日誌」公開の季節。正月映画として88年に始まった作品は96年から夏休みに。今年も新作が封切られ、都内の劇場で舞台あいさつが行われた。新作のロケ地は金沢や能登半島。三国はかつて、今回の撮影で使った高級老舗旅館「加賀屋」に宿泊したことがあった。

 西田が「昭和天皇が使われた部屋に泊まったらしいですよ」と客席に話しだすと、三国が「まあ、まあ」とたしなめる。さらに西田が「いいなあ、スーさんは」とけしかけると、三国は「そんなことはありません。大変だったんですから」と説明を始めた。「実はですね、部屋からトイレがあまりに遠くて、歩いていくと迷ってしまい、必ず正面玄関に出ちゃうんですよ。おかげでもらしそうになってしまいました」。

 場内は大爆笑。名優のズッコケ話を自然に引き出す西田と何食わぬ顔で語る三国。コンビを組んで18年。シリーズの魅力が垣間見えた。

 「まさかこんなに続くなんて思ってもいませんでした」。

 第1作から18年。日本映画を代表するシリーズとなったが、その言葉は本音だ。実は第1作の出演依頼を断っている。「マルサの女2」を撮り終えて休養しようとしていた矢先、松竹のプロデューサーがコミック本を携え、訪ねてきた。ページをめくると、鼻が大きい鈴木建設の鈴木社長が目に飛び込んできた。

 「三木のり平さんにそっくり。だから『のり平さんに頼まれた方がいいのでは』と言ってお断りしたのです。それでも『脚本を書いた山田洋次さんが原作のイメージと違うものにしたいのでぜひお願いしたいと言っています』と言われまして。喜劇をほとんどやったことがなかったこともあって、1本ぐらいならいいかなという気持ちもあって引き受けてしまいました」。

 「飢餓海峡」「復讐するは我にあり」など重厚な人間ドラマで見せた演技で「怪優」の異名をとった。コメディー出演は誰の目にも意外に映ったが、実は自然に受け入れていたところもあった。駆け出しのころ、ある俳優に誘われて芝居を見た。喜劇俳優藤山寛美さんの舞台だった。

 「同じ人物を演じる芝居を大阪、名古屋、東京で見たのですが、全部芝居が違う。最初はいい加減にやっているのかなと思えたぐらい。それでもお客さんは大喜び。土地ごとの感受性を意識した喜劇の奥深さを感じたわけです。いつかやってみてもいいかなと」。

 88年12月24日、第1作は「男はつらいよ」の併映作として公開。反響が大きく松竹は第2作の製作に乗り出した。

 「僕自身は手ごたえも何も分からないまま、もう1本やりましょうという勢いに押されまして」。

 翌90年秋に撮影が始まったのだが…。

 「もう時効だから話しましょう。脚本がないまま撮影に入ったんです。あらすじはありましたが、思うような台本が仕上がらなかったのです。公開日から逆算して撮影に入らなきゃということで、愛知県の渥美半島のロケ地に入ったのです。ドタバタです」。

 東京から当日撮影分の台本がファクスされる。時に現場で内容を変更してしまい、その結果をファクスで送り返し、変更された台本がまた送られるという綱渡り。台風直撃の暴風雨で撮影が中断し、旅館で待機してたところにようやく完成台本が届いた。撮影開始から2週間が過ぎていた。

 「今では考えられませんね。3作目は、2作目のアクシデントを取り返す気持ちで引き受けましたね。今度はちゃんとやろうと」。

 平社員ハマちゃんを社長としてやさしく見つめる役どころ。大手建設会社のトップとして腕をふるう一方、ハマちゃんの前では時に本音を漏らし、弱音を吐き、悩みをさらけ出す。

 「実はチャプリンを意識しています。若いころから見ていたから染みついているのでしょうかね。モデルにしていると言ってもいいですかね。シリーズの途中からイメージしています。世の中が複雑になってきましたから、チャプリンが表現した人間のもろさ、もの悲しさみたいなものが、鈴木社長の中には必要なのかなと思いまして」。