「いとこい漫才」として上方お笑い界で長く活躍した漫才師・喜味こいし(きみ・こいし)さん(本名・篠原勲=しのはら・いさお)が23日、大阪市内の病院で肺がんのため亡くなった。83歳。兄で名コンビだった夢路いとしさんが03年9月に他界してからは、漫才のご意見番として後進の育成・指導などにあたっていた。

 こいしさんは肺がん治療のため、1年ほど前から大阪市内の病院に入院していた。兄のいとしさんが亡くなった03年以後は、演芸番組のゲストやイベント出演を重ね、入院後も病院から仕事先に出かけた。漫才界の長老としての存在感は抜群で、NHK上方漫才コンテストの審査員を務める(昨年3月)など、若手のお目付け役だった。

 読売テレビ「上方お笑い大賞」の元プロデューサーで、親交が深い元ワッハ上方館長の有川寛氏は、昨年7月に会ったのが最後。「その時は、お元気な様子だった」といい、同12月初旬までは舞台出演するなど、元気に仕事をしていた。

 体調が急変したのは今月20日ごろ。懸命の治療もかなわず、23日午後1時38分、息を引き取った。遺体はその後、大阪市内の自宅に運ばれたが、周辺はひっそりと静まりかえっていた。

 いとしさん、こいしさんは1937年(昭12)に活動開始。旅回りの劇団に所属し、コンビ結成以前から子役として出演。戦時中は慰問公演にも回っていたが、終戦の45年当時は広島で新兵訓練を受けており、その際に被爆している。

 戦後は漫才作家・秋田実氏とともに活動、しゃべくり漫才で人気者に。テンポのよい掛け合い、上品な語り口は、その後の漫才に大きな影響を与えた。

 「うちの妻(さい)がね」「サイを飼ってるんか?」「いや、嫁のことやがな」「ありゃサイというよりカバや」などの名調子はオールドファンには懐かしい限り。

 コンビは漫才で人気を集める一方、テレビ司会でも活躍。代表作は大阪・毎日放送制作の「がっちり買いまショウ」(1963年12月~75年3月放送)。視聴者参加の買い物ゲームで、いとしさんの「10万円、7万円、5万円、運命の分かれ道!」というフレーズは流行語になり、627回放送の長寿番組となった。50歳ごろ、ぼうこうがんを患ったが、克服していた。

 ◆喜味こいし

 本名・篠原勲。1927年(昭2)11月5日、横浜市生まれ。一家が旅回り一座をしており、子役を経て、40年に上方漫才の荒川芳丸に入門し、実兄の夢路いとしと「荒川芳博・芳坊」を名乗る。戦後、漫才作家の秋田実氏に師事し、いとし・こいしと改名。50年NHKラジオ「気まぐれショーボート」で注目を集め、テレビでも多数司会を務め、役者として活躍した。93年、漫才コンビとして初めて紫綬褒章。99年には大阪市の「市宝」である大阪市無形文化財に指定された。代表作に「交通巡査」「わが家の湾岸戦争」など。

 [2011年1月24日9時53分

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