1987年(昭62)に肝細胞がんで亡くなった俳優の故石原裕次郎さん(享年52)の二十五回忌が、命日の17日に神奈川県内の総持寺で営まれた。夫人のまき子さん(77)は、「これから、もっともっと元気に、石原裕次郎の世界を守ってまいりたいと思います」と力強くあいさつした。3月28日付で俳優渡哲也(69)が第2代社長を退任し、まき子さんが代表取締役会長に就任。新体制となって迎えた初の墓参で、石原プロモーションが新たな1歩を踏み出した。
墓碑に手向けられた小さなひまわりの花が、さんさんと降り注ぐ陽光を受けて輝いていた。「昭和の太陽」と呼ばれた裕次郎さんがほほえんでいるような風景の中、墓碑の前に立ったまき子さんの唇は震えていた。最愛の夫の死から四半世紀がたちながら、悲しみと背負った歴史の重みをかみしめているようだった。
追悼供養終了後、式を執り行った総持寺の山岸弘文副監院は、故人のエピソードを紹介した。「石原家に裕次郎さんが書かれた書があった。よく分からない一文字を写して調べたら、禅語だった。ご自分を追求する勉学の時間を、ひそかに持たれていたんだと感心した。石原裕次郎、仏は生きている」。それを受け、まき子さんは笑みを浮かべて、感謝のあいさつをした。
まき子さん
裕さんのことを、これだけよく見抜かれて25年間のことを全部説明いただき、裕次郎という人間を分析していただいて本当にありがたく思います。裕次郎亡き後25年たちましたけれども、本当にすばらしいスタッフの方たちに囲まれて、ここまで無事に参りました。私も高年齢になりまして、衰えてまいりましたけれども、できるだけお墓に通って、ますます元気で守ってまいります。
まき子さんの“決意表明”を、石原軍団のメンバーは神妙な面持ちで受け止めた。渡は「あらたに気持ちを引き締めて全員、仕事で頑張っております。私自身も仕事に入りますが。(社長を降りて)多少、肩の荷は下りました。まき子夫人とは、いろいろお話したいことがありますので、また1度たっぷり時間を取ってお話しましょう、ということ」と、近日中の“トップ会談”を示唆した。
例年、雨続きの命日が晴れ、山岸副監院は「『太陽の季節』がやってきた」と代表作の名を挙げ、渡も「ここ数年、変わりましたね」と笑った。新生石原プロモーションにとって、裕次郎さんの存在を感じられる最高の“出発式”となった。【村上幸将】
◆あじさい忌
裕次郎さんの命日である7月17日は、裕次郎さんが生前、大好きだったあじさいを、亡くなった日の祭壇に飾ったことから「あじさい忌」と呼ばれる。この日は例年、雨がよく降るため、裕次郎さんが雨男だという意味で、一部では“裕次郎雨”とも言われていたが、昨年と今年は晴天となった。渡は「少し雨がほしい」と苦笑いするほどだった。




