あの1球がボッチャ界の歴史を塗り替えた。リオデジャネイロ・パラリンピックのボッチャ団体で日本代表(脳性まひ)が初の銀メダルを獲得した陰には、“魔球”があった。準決勝のポルトガル戦で、エース広瀬隆喜(32=アルムの森ペーターの丘)が投じた、転がさずに球を直接当てる「ロビングボール」。12年ロンドン大会の敗北を機に習得した。世界でも珍しい謎の球を振り返る。

 相手は因縁のポルトガル。3-1で迎えた第3エンド。広瀬がバックスピンをかけて、目標球に直接当てた。約10センチ横にある相手の球もはじいて大量4点を獲得した。「ウォー!!」。得意の雄たけびを上げた。この1球で勝負が決まり、8-5で下した。

 目を疑った。球を転がして目標球に近づけることが賢明とされるボッチャで爆弾のような球があった。力むとぶれたり、目標球を越えるリスクもあるが、広瀬は「狙いました。1試合で1球使うか、使わないかの勝負球であの場面は勝負だった」と説明した。

 12年ロンドン大会では、準々決勝でポルトガルに敗れて7位に終わった。「世界で勝つためには何が必要なのか」。ある日、広瀬はポルトガルでロビングボールを使っている選手を思い出した。「これだ!」。魔球習得のために、動画サイトを何度も確認して、多い日は1日約100球投げ込んだ。左手の握力は20キロ台で、指と球との感覚が重要と言う。球に「当てること」だけを考えて投じる。14年頃から国内外の大会でも魔球を試して、リオ大会で「使える」と確信した。

 広瀬 球を安定させるには、体調管理と練習あるのみ。ちょっとした感覚のズレで球の軌道が変わってしまう。体調が万全の時にしか使えない球なんです。

 そのため、広瀬は風邪予防のマスクとはり治療、「ボチトレ」と呼ばれる筋力トレーニングを欠かさない。従来、脳性まひの選手は医学的に筋トレは筋緊張をもたらすとされ、タブー視されてきた。だが、海外のパワープレーにも対抗するためにチューブトレーニングに励むと、プラスに働いた。体幹が安定して、投球の精度も高まった。「苦労もあったけど、4年間の取り組みが結果に表れた。東京(大会)で確実に金を取るために、プラスになることは何でも取り入れたい」。日本のエースが4年後、新たな魔球を披露するかもしれない。【峯岸佑樹】

 ◆広瀬隆喜(ひろせ・たかゆき)1984年(昭59)8月31日、千葉県生まれ。先天性脳性まひで幼少期から車いす生活を送る。高2の時、陸上の車いす60メートルで千葉県記録を樹立、国体にも出場。高3でボッチャを始める。日本人選手最多となる08年北京大会から3大会連続出場。勝負曲はSMAPの「世界で一つだけの花」。家族構成は両親と弟。血液型A。

 ◆ボッチャ 脳性まひなどの障がい者のために欧州で考案された。縦12・5メートル、横6メートルのコートに赤と青の球を交互に6球ずつ投げて、白の目標球により近づけた方が勝者となる。団体戦は男女混合の3人で、リオ大会決勝ではタイに4-9で敗れた。1試合は4~6エンド。球の周囲の長さは約27センチでお手玉のような感触。イタリア語でボールを意味する。

 ◆脳性まひ 何らかの原因で受けた脳の損傷によって引き起こされる運動機能障害や神経障害の総称。症状は軽度から手足がねじれるなどして、ギプスや車いすが必要な重度までと幅広い。発話に関わる筋肉の制御が難しくなり、話すことが不自由になったり、話を理解しにくい。1000人に2~3人の割合で起こるとされる。精神遅滞や視力、聴力障害などの合併障害もみられることが多い。