東京五輪も手倉森JAPAN!

 日本サッカー協会が、4年後の東京五輪代表監督に、リオデジャネイロ五輪男子サッカー日本代表の手倉森誠監督(48)を第1候補に挙げていることが2日、分かった。既に田嶋幸三会長(58)と西野朗技術委員長(61)は話し合い済み。1月のリオ五輪アジア最終予選決勝で韓国を破った実績や高い求心力、指導力が評価された。リオ五輪成績にもよるが、五輪終了後に正式交渉する。

 東京五輪でのメダル獲得へ向け、日本協会が既に動いていた。このほど田嶋会長と西野技術委員長が会談し、手倉森監督を東京五輪代表監督の第1候補として交渉を進めることで一致した。谷間の世代をアジアの頂点に導いた指導力を高く評価した。協会関係者は「西野委員長はG大阪監督時代に手倉森監督の仙台と直接戦っていて、当時から指導力と戦術を高く評価している。田嶋会長もアジアを制したことと人心掌握術を評価している」と話した。

 手倉森監督は、リオ五輪を目指すU-21日本代表監督に14年1月2日付で就任した。同年はU-22アジア選手権、アジア大会とも8強止まりだったが、仙台時代から貫く「堅守速攻」が浸透。前評判が低かった五輪最終予選は、13年のU-20W杯を逃したメンバーを成長させて優勝。この世代の天敵だったイラク、韓国に準決勝、決勝でリベンジし、6大会連続の五輪出場に導いた。

 サッカー界に進まなければ「金八先生(教師)になりたかった」という教育者は、重圧のかかる最終予選の前も「日本の未来を担う23歳以下を鍛え上げる大会にする」「五輪のメダルより大事なことは、A代表の核になる選手を育てること」と断言。今年3月にはU-19代表候補合宿も視察するなど、広い視野で育成に情熱を注いできた。

 A代表は外国人監督が続くが、五輪代表は00年シドニー五輪のトルシエ監督後、日本人が任されてきた。田嶋会長は「基本、五輪は日本人監督で。4年後は地元開催だし、その方向性は変わらないと思います」と話す。その1番手は手倉森監督。リオ五輪の結果次第で候補者が増える可能性はあるが、現段階で他に候補は挙がっていない。

 アジア王者として挑む今回のリオ五輪では、68年メキシコ大会以来48年ぶりのメダルを目指す。4日(日本時間5日)の1次リーグ初戦ナイジェリア戦から、リオ経由東京へ、手倉森監督の挑戦が始まる。

 ◆手倉森誠(てぐらもり・まこと)1967年(昭42)11月14日、青森県五戸町生まれ。現役時はMF。双子の弟浩(現JFAトレセンコーチ東北担当チーフ)とサッカーを始める。漫画「キャプテン翼」の立花兄弟のモデル。青森・五戸高では3年連続で全国選手権出場(85年8強)。86年に住友金属鹿島(現鹿島)に入り日本ユース代表に選出された。93年にNEC山形(現山形)移籍。95年に引退してコーチ転身。大分をへて04年から仙台コーチ。08~13年は仙台監督を務め12年にJ1で2位。13年にはクラブ初のACL出場。家族は夫人と2女。173センチ。血液型A。