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第54回 国土交通省大臣旗争奪 競艇 全日本選手権特集


1997年 プレーバック

山崎智也、SG2戦目で初優勝

全日本選手権最終日 優勝した山崎智也=1997年10月12日、唐津競艇場
全日本選手権最終日 優勝した山崎智也=1997年10月12日、唐津競艇場

 ニューヒーローが誕生した。12日、佐賀・唐津競艇場で行われた第44回全日本選手権競走(競艇ダービー)優勝戦は、関東の新鋭山崎智也(23=群馬)が制した。5コーススタートとコース取りには失敗したが、冷静にまくり差しを決めての初優勝だ。今年8月のMB記念で初のSG出場を果たし、今回が2度目のSG出場だった。優勝賞金4000万円を手にし、12月の賞金王決定戦(住之江競艇場)の出場も有力になった。

 夢見心地だった。山崎は自分がウイニング・ランをしていることが、信じられなかった。ガッツポーズもどこかぎこちない。「本当に夢みたいです。ここにこうしていることが」。表彰台で伏し目がちにそう話した。まだG1での優勝もなく、SG戦出場もわずか2度目。その男が、競艇選手が最も欲しいというダービーのタイトルを制した。

 「これはまた6コースだな」。進入のときエンジンが止まり、そう思った。3枠という有利な位置をまた生かせなかった。9月の桐生周年の優勝戦もそうだ。1枠でインを主張したが失敗し、大外になってしまった。1番人気にこたえられず、2着と悔しい思いをした。今節、予選でコースを主張していたのは、その反省からだった。

 大事な場面で同じ失敗をしてしまった。だが、運は山崎に味方した。スタートタイミングはひとつ内にいた服部と同じ0秒07。まくりにいった服部の内をまくり差しだ。1マークを回った時点で、山崎の勝利が決まった。「3、4コースが欲しかった。後ろを服部さんが走っていたから、安心はできなかった。よく服部さんには抜かれていますから」と苦笑する。緊張感はあったが、レース中は冷静でいることができた。努力が生み出した冷静さだった。

 本栖研修所時代も努力家だったが、卒業しプロになってからはさらに拍車がかかった。レースがないときは、地元の選手たちとよく桐生競艇場に練習に行く。その前の夜にどれだけ深酒をし、ほかの選手たちが練習を休むことになっても、朝から一人で練習に行った。練習に行く、と決めた日に休んだことは一度もない。「いや、僕は仕事があまり好きじゃないんです」。優勝会見のときそう語ったが、陰では人一倍練習している。

 この日の優勝で、賞金王決定戦の出場も有力になった。今年前半までSG戦に出場していなかった選手が、来年はすべてのSG戦に乗る。「賞金王ですか? 出られればいいな、という感じです。今はこの優勝がうれしいので、そこまで考えられない」。この2カ月で急成長してきた山崎にとっては当然のことかもしれない。

[1997年10月13日付 紙面から]



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