J2札幌が27日、来季契約を更新しない6選手を発表した。地元・北海道札幌市出身で、札幌U-15からの生え抜き選手、元世代別代表のMF古田寛幸(24)も、その中に含まれていた。

 残念ながら今季は22試合に出場も、得点は7月8日大宮戦での1ゴールのみ。9月20日福岡戦を最後に出場機会はなかった。10月には左膝を負傷し、左膝外側半月板損傷で手術。今季絶望となっていた。

 記者が札幌担当になった09年に、高校3年でトップチームの選手として登録された。11年はチームの中心選手としてJ1昇格にも貢献した。生え抜き選手では1番のエリート街道を突っ走ってきた。当然、7年間、弊紙北海道版に何度も記事を書いてきた。

 とても話し好きで、サッカー意外の話も、たくさんさせてもらった。年の差18歳。世代のギャップはあるだろうが、ひと回り以上離れたおじさんの話を、いつも、熱心に聞いてくれた。食べ物、ファッション、下ネタまで。言葉遣いが丁寧で考え方もしっかりしている。42歳の自分よりも、将来をよく考えているように思えることもあり、度々、感心させられた。

 どの選手も平等に扱おうと心掛けてはいるが、接する回数が増え、たくさん話をすれば愛着もわくし、応援したくもなる。ただ、選手獲得も退団もニュース。より早く読者に伝えるのが、我々の仕事でもあり、そこは避けては通れない。クラブが通達した24日翌日の25日朝刊に「戦力外」の記事を載せた。

 古田はトップ昇格後、毎年、自分の将来ビジョンを年表にして、目につくところに貼って、成長につなげてきた。○年目に札幌の中心選手になって○年目にJ1昇格、○年目に海外挑戦、○年目に日本代表…と。

 実際に、11年にJ1昇格し、12年にJ1を経験。1年で降格も、13年開幕前に海外移籍を目指し、スイス1部トゥーンのトライアウトに参加した。だが、契約には至らなかった。さらに開幕直後の3月31日G大阪戦で、FWレアンドロのシュートをブロックした際、左膝外側半月板損傷の重傷を負い長期離脱。復帰後の14年は負傷などで出場機会が減り、8月に讃岐に期限付き移籍した。J1でのプレーから2年後、J2で残留争いをする立場になっていた。

 夢は、なかなか思い通りにはいかないもの。壁にぶち当たり、昨季から、年表づくりをやめた。「うまくいかないこともあるし、もやもやするので」。

 人間誰しも挫折はある。ただ、この男に一貫していたのは、卑屈になることなく、常に明るかったこと。契約満了を通告された後の26日、心境を聞いた。笑顔で、まず「ありがとうございます」と第一声。そして上を向いて、こう言った。「何となく予想はしていたし、今は前向きな気持ち。むしろ、いろいろな人から連絡が来て、心配かけて申し訳ない気持ちの方が強いですよ」。心が折れたようなそぶりは、一切、見せなかった。

 今後は代理人と移籍先を探すことになる。既にランニングを始め、左膝のケガも、年内には回復する見込みだ。きれのあるドリブル突破に加え、礼儀正しさとプラス思考-。技術も人間力も兼ね備えた24歳。今は試練も、最高の逆転人生を勝ち取れると、信じている。


 ◆永野高輔(ながの・たかすけ)1973年(昭48)7月24日、茨城県水戸市生まれ。両親が指導者だった影響で小5からフェンシングを始め競技歴15年。早大フェンシング部で一度、現役引退し、00年に再起してサラリーマン3年目の27歳で富山国体出場。09年から札幌担当。