原口から「サッカーに向き合う姿勢がすごい」と言われる性格は、幼少時代に培われた。柔道、剣道、空手に精通する父と合気道の母。父は厳しく「何度か、本気で死ぬと思った(笑い)。でもサッカーを始めた5歳から、1秒たりともグレる時間がなかった。感謝しかない」。山口・鴻南中時代は朝から隣接する公園でボールを蹴った。この日の得点を生んだ「利き足ではない左足の向上」が目的だ。公園の名は「維新百年記念公園」。今、ハリルジャパンに世代交代の維新をもたらす男の原点だった。

■リオ五輪世代で突き上げる

 A代表には高校3年で初招集。19歳でJリーグ京都サンガFCからスイスへ渡り、人見知りだった性格も変えた。外国人選手を食事に誘い「浮くほど白い歯を見せて話しかけ、自分のことを知ってもらった」。日本代表も同じで「分からないことがあれば聞きに行った」。昨年11月の招集以降、ポジションを奪う形になった本田からの親身な指導に「器がデカい」と感激し、昨年ブレークした清武らロンドン世代から「俺らが活躍しても遅い。リオ組が出てきてこそ世代交代」と聞くと、突き上げる覚悟が固まった。

 「自分たちが上の世代を刺激していく」と志したタイ戦。後半39分に退くと、ハリルホジッチ監督から頭をたたかれ、祝福された。会見でも「この2試合で質の高さを見せ、決定力も示した。若くて良い選手を見つけた。1つの発見。進化に期待している」と絶賛され、ラッキーボーイを超え欠かせない存在になった。

 昨夏のリオ五輪はクラブ事情で出場を断念。声を上げて泣いた日を糧に、笑顔になった。目標をロシアに切り替えたA代表で最終予選3戦2発。あの本田を押しのけ、この日の交代も昨年4戦連発の原口や10番香川の方が先だった。急上昇する序列にも「まだまだ」を連発した新エース。「中心的な選手になりたい。この2試合で終わらないようにしないといけない」と締めくくる姿は、出場最年少とは思えない落ち着きと頼もしさだった。【木下淳】