サンフレッチェ広島の森保一監督(48)が、初のプロ野球広島カープとのアベックVへ導く。日刊スポーツの新春インタビューに応じ、17年の誓いとして2年ぶりのJ1優勝を約束した。カープが25年ぶりのセ・リーグ制覇を達成した昨年は、J1で年間6位に終わった。クラブ最長を更新する就任6年目となる森保監督は、プロ野球とのタッグで地元に歓喜をもたらす。【取材・構成=益子浩一】

 カープの快進撃で広島が沸いた昨年、森保監督は1度も球場に足を運ばなかった。正確には「運べなかった」と言った方が正しい。

 「広島市民として見に行きたかった。行くチャンスは何度かあった。でも、うちがいい結果を出していたわけではなかったので、足を引っ張ってはいけない。勝ち運を持って(球場に)行けないのであれば、このシーズンは行かない方がいいと思いました」

 森保監督が12~13年とJ1で2連覇を達成した時のこと。当時カープを率いた野村謙二郎前監督から連絡を受けた。カープは12年リーグ4位、13年3位と優勝から遠ざかっていたことから「チームの調子が悪いから(スタジアムに)行きたいけどやめておく」。競技は違えど勝負師としての心構えは同じだった。

 現役時代からカープ緒方孝市監督とは親交がある。68年生まれの同学年。毎年、開幕前に食事をする。「お互い、今年1年頑張ろう」-。緒方監督就任1年目の15年は、サンフレッチェがJ1制覇しながらも、カープがリーグ4位。昨年はカープがリーグ制覇したが、サンフレが失速して年間6位。過去の歴史を見ても、同時優勝は1度もない。

 「(緒方監督とは)現役時代から交流があります。真面目で真っすぐな人。常に勝ちたいという思いを持って、そのためには何をしなければいけないかを考えている。我々は広島の街に育てられている。我々のような地方クラブが、予算規模の大きい大都市のビッグクラブを倒すことに、夢やロマンがあると思う。必ず、今年は恩返しをしなければいけない」

 過去5年で3度もJ1優勝に導いた森保監督は、国内屈指の指揮官へと成長した。昨夏は日本代表FW浅野が欧州移籍を決断。今オフにはエースとして引っ張ってきたFW佐藤がJ2名古屋へ移籍した。今季はクラブ最長の就任6年目。毎年のように主力を他クラブへ奪われながら、それでも優勝が目標になる。

 「ハードルが上がっていますね。でもそれが私にとってのモチベーションになる。我々は育成型クラブ。下部組織の選手や(高校、大学を)卒業して獲得した選手を育てる。育成と優勝。言葉で言うほど簡単なことではないが、二兎(にと)を追いながらやっていく。カープも他球団から引き抜いた補強ではなく、ドラフトで獲得した選手を育てながら優勝を勝ち取った。チーム作りのベース、育成スタイルは、サンフレとカープは同じだと思う」

 森保監督にとっては節目の17年シーズン。それだけにタイトルへの思いは、これまで以上に強い。

 「高校を出て、初めて広島に来たのが87年。ちょうど今年で30年。広島でタイトルを取りたい。復興する広島の心のよりどころにカープがあるように、サンフレッチェも広島のみなさんに喜んでもらえるように結果を出し続けたい」

 ◆森保一(もりやす・はじめ)1968年(昭43)8月23日、長崎市生まれ。長崎日大高から広島の前身マツダ入りし、92~01年広島(98年だけ京都に期限付き移籍)、02年仙台移籍で03年引退。J1通算293試合15得点。日本代表でボランチの役割を定着させ、ドーハの悲劇も経験。国際Aマッチ35試合1得点。U-19、20日本代表や広島、新潟のコーチを経て12年広島史上初の生え抜き監督に。174センチ、68キロ。