U-17W杯で若きサムライブルーが大健闘する中、日本の「U-12」に世界が動いた。スペイン1部リーグの名門バレンシアが、5日までに日本人小学生を獲得したことが分かった。昨年神戸に開校した「バレンシアCF・ジャパンフットボールスクール」(中谷吉男校長)に所属する光久大晴君(兵庫・仁川学院小5年)、川上聡輝君(同・生瀬小5年)で、2人は4月に入団オファーを受け、今夏からのスペイン行きを決意した。過去に小学生が代理人を通じて移籍したケースはあるが、下部組織からの昇格は初めて。日本人選手の欧州進出に、新たな道筋が誕生した。

 世界最強のスペインリーグで優勝6度を誇るバレンシアからオファーを受け、うら若き侍が海を渡る。従来の日本にはない「昇格」という形で、小学生が欧州の名門クラブ入り。入団するのは、バレンシアCF・ジャパンフットボールスクールの光久君と川上君。光久君は読みのいいディフェンスと正確なパスが持ち味で、川上君は足の速さを生かした攻撃力あるサイドハーフ。当初驚きを隠せなかった2人だが「選ばれてうれしい」(光久君)「成功したい気持ちが強い」(川上君)と喜びを口にした。

 バレンシアは04年夏に来日し、新潟、鹿島と親善試合を行うなど、これまでも日本市場に注目してきた。若年層の開拓を掲げ、ほかの国に先駆け昨年5月に神戸に日本支部を創設。欧州連盟プロレベル3(最高位)の指導ライセンスを保持し、09年にC大阪ユース監督として日本クラブユース優勝の中谷氏を校長に迎え、小学生年代の育成を開始。その最初の芽が本場へ渡り、カンテラ(本体の下部組織)からトッププロを目指すことになった。

 同スクールは正式な下部組織とあって、指導方針も練習内容も同じ。状況判断のスピードとアイデア、ボールコントロールとパスの正確さに重点が置かれる。スペインから定期的にコーチが派遣されるほか、1月にはスペイン遠征も実施。加えて中谷校長が選手個々のリポートを本部に毎月提出しており、日本とスペインに遠く離れながら、選手の成長度合いを双方で把握できるのが特長だ。今回の経緯について、中谷校長は「日本人は賢く粘り強いし、世界でもっとやれる。そこが評価された」と言う。

 2人は8月下旬にスペインへ渡り、11~12歳の12~15人で構成される「アレビンA」に加入する。現地の家庭にホームステイし、地元の小学校に通う。カズが16歳でブラジルへ渡り成長したように、若くして海外の風土、慣習を知ることは、サッカーはもちろん人間形成の面でもプラスに働く。中谷校長は「子どもには順応性があるし、人間力が磨かれる。立派な国際人に育ってほしい」と願う。

 過去に小学生のスペイン移籍と言えば、07年に山梨県の宮川類君(当時小5)が代理人を通じてAマドリードの練習に参加し、入団に至った例がある。しかし今回はバレンシア自らが種をまき、本場の土壌へ移植するというプロジェクト。日本人の欧州進出は、画期的な時代へと突入した。

 90年代以降、日本サッカーの躍進は目覚ましい。98年のW杯初出場以降、99年にはU-20W杯で準優勝、02年日韓、10年南アフリカ大会とW杯16強。さらにインテル長友、ドルトムント香川らの活躍。そして今回のU-17W杯では、4強入りをかけて王国ブラジルを2-3まで追い詰めた。将来を担う若年層への期待が高まる中で、未来に通じる新たな「扉」が開いた。