さあ、Jリーグだ!

 今季、新たにJFL(日本フットボールリーグ)から松本山雅(やまが)と町田ゼルビアの2チームがJ2に参入する。ともに地元やクラブ関係者の尽力で、多くの苦難を乗り越えて悲願を達成した。松本山雅は大月弘士社長(46)が自らチーム移動の運転手役を務めながら、スポンサー獲得にも奮闘。予算300万円から3億5000万円のクラブに成長した。

 松本市のほぼ中央に白い屋根の松本山雅のホームスタジアム・アルウィンがある。遠方に北アルプスを望む。01年、長野県が約60億円で建設した。愛称はアルプスとウインド(風)の造語。その大自然に囲まれた松本の地に、ついにJリーグがやってくる。

 65年、国体の長野県選抜メンバーを中心に創部。当初は15人もいなかった。長年、北信越リーグに所属したが、10年からJFL、そして、今年J2参入と一気に躍進した。その陰には地元で「大月酒店」を経営する大月社長の奮闘があった。

 大月社長のもとにチーム運営の話が来たのは、アルウィン完成の2年後。「当時私は松本青年会議所のメンバーで、みんなで長野からJリーグクラブを誕生させようということで始まりました」と振り返る。04年に地元の若手経営者ら16人で、NPO法人「アルウィン・スポーツプロジェクト」を発足した。

 だが予算は300万円にも満たなかった。当時のチームの人数は16人。アウェーの移動はバスを使わず、社長自らハンドルを握った。「私ら理事がワゴン3台を運転し、1台に選手5人ぐらいを乗せて送迎しました。新潟まで片道3時間以上、福井まで5時間以上もかかる日もありました」。07年にマイクロバスを導入するまで3年続いた。

 並行して地元企業のスポンサー獲得に奔走。その熱意が伝わり、当初は10社にも満たなかったが、昨季の公式スポンサーは76社に。パートナースポンサーも含めれば200社以上にも上る。今季予算は約3億5000万円。「ずっと身の丈経営を続けてきたので、赤字を出すことはありませんでした」(大月社長)。

 理事長に就任した07年から練習環境の改善にも乗り出した。仕事を兼務する選手が多く、前年までは夜間練習が日常だった。照明設備が不十分だったことや、選手の体調も考慮し、午前練習を増やした。地元関係者の協力で土から芝生のグラウンドを利用する日も多くなった。

 昨年8月4日、元日本代表DF松田直樹さんが急性心筋梗塞で急逝(享年34)。松田さんの死で、松本山雅というチームを知った人も多いかもしれない。松田さんが入団を決めたのも、Jリーグに昇格したいという大月社長ら関係者の情熱と、経営の礎があったからこそ。2012年、松本山雅の新たな戦いが始まる。【由本裕貴】

 ◆松本山雅(まつもとやまが)FC

 前身は1965年(昭40)創部の山雅サッカークラブ。松本市と長野県全体がホームタウンで、本拠地は松本平広域公園総合球技場(アルウィン)。JFLに初昇格した10年は7位、昨季は17勝8分け8敗で4位だった。S級ライセンスを持たない加藤善之監督(47)は退任し、昨季までJ2湘南で監督を務めた反町康治氏(47)の就任が内定している。