<箱根駅伝連載

 戦国駅伝:(3)改革編>

 改革に出血は付きもの。日体大のそれは「4年生の反発」だった。伝統校ほど過去のしがらみに縛られ、チーム改革に着手できない。9度の優勝を含む65回連続出場の日体大・別府健至監督(46)は、あえて下級生の服部翔大(3年)に主将を託す荒療治を施した。改革に乗り出した古豪が、巻き返しに打って出る。

 伝統のタスキが9区で途切れた。日体大史上初となる、屈辱の繰り上げスタート。そして惨敗の19位。今年1月3日のことだ。突きつけられた現実を前に、別府監督に迷いはなかった。大手町でのチーム集合の直前、当時2年の服部に告げた。「キャプテン、やるか」。「監督は何を言ってるんだ。どうしよう…」と一瞬のちゅうちょの後、服部は「はい」と答えた。

 就任3年目の01年に、3年生を主将に据えたことがあった。その時の苦い経験から同監督は「やはり主将は4年生でなければ」と思い直した。だが屈辱を前に思い切ったショック療法を決断。「プラスマイナス両面あるがプラスを見て決めた」という。

 たまらず当時3年生の数人が「オレにやらせてください」と直訴。だが指揮官は聞き入れなかった。逆に服部、矢野圭吾、本田匠の長距離2種目「13分台&28分台トリオ」の現3年生を「特別視する。自分もなりたければ結果を出せ」と4年生にハッパをかけた。狙いは最上級生の奮起にあった。

 「自分は口でなく走りで引っ張るタイプ」という服部は、時に集団走から遅れる4年生に「付いて来い」と怒鳴ることもあった。「先輩には申し訳なかったけど、後腐れなく付いてきてくれました」と服部は振り返る。4年生の底上げもあり、10月の予選会をトップ通過した。

 主将を直訴した福士優太朗(4年)は「服部の言うことは何を言っても聞こう。そこは我慢して結果で見返そうと思った」と振り返る。同じ4年の早川智浩も「悔しい気持ちは服部にぶつけるものではない。逆に服部に重責を背負わせている。この1年で変なプライドが4年生になくなりました」。下克上で生まれ変わった日体大が、台風の目になる。【渡辺佳彦】