陸上男子100メートルで日本歴代2位の10秒01を持つ桐生祥秀(19=東洋大)が、復活した。1本目に10秒09も、記録が公認される2・0メートルを超える追い風2・4メートルで参考記録。2本目は追い風0・3メートルの公認記録で再び10秒09。伊東、朝原に続く日本人3人目となる3度目の10秒0台を出し、リオ五輪参加標準記録10秒16を突破。今季最終レースで初の五輪に前進して「9秒台を2度出さないと決勝に残れない」とファイナル進出を目標に掲げた。

 桐生ジェットが噴射した。追い風0・3メートルのこの日2本目。抜群のスタートダッシュで抜け出す。30メートルで世界選手権代表の大瀬戸を置き去りにして加速。独走で大会新記録の10秒09。爆発的な加速で前半に勝負をつける本来の走りが今季ラストレースでさく裂した。

 「本当の目標は自己ベスト(10秒01)だった。タイムしか狙ってなかった。いいも悪いも言えないかな」

 2時間前の1本目。追い風2・4メートルの参考記録で10秒09。「スタートでだらだら出た」と50メートルまで大瀬戸に先行された。土江コーチに「30メートルまでに勝負をつけろ」と言われて発奮。スターティングブロックの位置を修正した。「追い参(追い風参考)で走りにきたわけじゃない。風は0メートルの方がいい」。再び10秒09を出し五輪参加標準記録10秒16をクリア。5月の高瀬慧(富士通)と並ぶ今季の日本人最速で、3度目の10秒0台は伊東、朝原に次ぐ3人目。一流の力を証明した。

 今年5月に右太もも裏肉離れで8月の世界選手権を棒に振った。テレビをまともに見られず街をぶらついた。「苦しかった。何度もケガをして。人のせいにしたり、悪い部分が出た。大学の練習とか(土江)先生とか。ちょっと逃げたいと思って…」。大学での練習メニューが物足りなくて「楽しくない」とこぼした。

 原点回帰した。母校の京都・洛南高は徒歩3分の場所に約120メートルの坂道がある。かつて胃液を吐くような練習で基礎を固めた。けががいえた8月に「好きな練習を」と言われ、坂道ダッシュを選んだ。汗を流すうちに、もやもやは薄れていった。

 周囲の支えもあった。父康夫さんから「けがをするのは自己責任」と指摘されて「親にキツいことも言われた」と振り返る。ボルトが優勝した同選手権男子100メートル決勝の直後、携帯電話にメールが届いた。「この舞台で走るのはお前だ」。高校時代の恩師、柴田監督だった。そして隣には練習を静かに見守ってくれる土江コーチの存在もあった。人のせいにした自分を恥じた。「逃げるのはダメ。自分はまだまだ弱い。自分にとってどうでもいいことを考えないようにした。日にちが解決してくれた」。

 10秒09で五輪に前進した。ただ初出場が目標ではない。「暁の超特急」吉岡隆徳以来日本人2人目のファイナル進出だ。「決勝に出て勝負する。9秒台を2度出さないと決勝に残れない。恩返しはタイムを出すことしかない。9秒台を来年、出したい」。五輪イヤーに向けて「ジェット桐生」が進化する。【益田一弘】

 ◆布勢スプリント 短距離に特化した記録会で09年にスタート。トラックの材質は記録が出やすいと定評があるイタリア・モンド社製「スーパーX」を使用。追い風になりやすいようにホームストレートとバックストレートのコース2本を使い分ける。女子100メートルの福島は09年に日本記録11秒24(当時)を記録。