<大阪国際女子マラソン>◇29日◇大阪・長居陸上競技場発着(42・195キロ)

 ニューヒロインがロンドン五輪代表の最有力に名乗りを上げた。2度目のフルマラソンだった重友梨佐(24=天満屋)が、日本歴代9位となる2時間23分23秒で初優勝。本命だった「トラックの女王」の福士加代子(ワコール)を26キロ過ぎから引き離す独走劇で、五輪出場は確実となった。実現すれば天満屋(岡山)からはシドニー五輪7位の山口衛里から4大会連続のマラソン代表選出。名門の伝統を受け継いだ新エース候補が、低迷する日本女子マラソンの救世主となる。

 大阪からロンドンの星が現れた。歓喜の拍手で長居に迎えられた重友は、今にも泣きだしそうだった。苦しくてゆがむ顔で見たゴールテープ。その向こうには武冨監督がいた。両手を横に広げて、ようやく見せた笑顔で「師匠」に飛び込む。2度目のマラソン挑戦で五輪切符を確実にした。

 「先頭にいるイメージはなかった。予想外でした。最後の10キロは足が動かなくてきつかったけど、粘れました。五輪は夢の舞台。アピールできて良かったです」

 圧勝だった。2時間22分台のゴールを想定したハイペース。5キロで6人いた先頭集団は15キロで4人になり、20キロ過ぎて福士との一騎打ちになった。「福士頑張れ、の声が聞こえなくなった。あれ?

 と思った」。背筋をピンと伸ばして1度も振り返らない。26・5キロで福士を振り切ると残り15キロは1人旅。初春の浪速路をぜいたくに独占した。

 伝統の力だ。小学時代、ピンクのユニホームに一目ぼれした。坂本直子にもらったサインを宝に「ずっと天満屋に入りたかった」。これで山口、坂本、中村友梨香に続いて、チームから4大会連続の五輪出場が確実。天満屋は全員で現地へ行くのが慣例で、重友も08年に北京へ行った。「こういう舞台で活躍できたらと思った。取り組む姿勢とか、先輩から学ぶものが多いです」。武冨監督が「うちのエース」と期待した成長株が、一気に殻を破った。

 ゴールして澄み切った空を見上げた。報告したのは、8年前に亡くなった祖父太郎さん(享年73)。孫の応援を楽しみにし、練習の送迎もしてくれた一番の応援者だった。母民恵さん(52)は「本当におじいちゃん子で…。(07年に座骨を)疲労骨折しても『おじいちゃんのためにやめない』と。天国で喜んでもらいたいと言ってました」。初めて一緒に“応援”した遺影を抱え、声を震わせた。

 祖父が言っていた。「頑張れば夢はかなうよ」。岡山・興譲館高では長身に筋力がついていかず、昨年の世界選手権5000メートル代表の新谷仁美(佐倉AC)ら同級生の陰に隠れていた。森政芳寿監督(54)は「マジメで粘っこい。心が強いから不調でも試合で崩れたことがなかった」。跳びはねるようだったフォームも居残り自主練習で改善し、3年時は主将として都大路の全国制覇に導いた。

 芯のぶれない性格に、芯のぶれない走り。悩みは、気付くと増えている体重だという。「もっと上を目指すには、体を絞って練習したい」。北京五輪の惨敗で4大会続いていたメダルを逃した女子マラソン。24歳のホープが約3年2カ月ぶりに国内歴代10傑を塗り替え、天満屋のエースから「日本のエース」へ。期待の大型ランナーがロンドンへ向けて、華々しく誕生した。【近間康隆】【重友梨佐(しげとも・りさ)プロフィール】

 ◆地元の星

 1987年(昭62)8月29日、岡山・備前市生まれ。小学3年から陸上を始め、興譲館3年だった05年高校駅伝では主将として初優勝に貢献。

 ◆入社6年目

 06年に念願の天満屋入社。昨年12月の全日本実業団対抗女子駅伝では5区で2年連続の区間賞。自己ベストは5000メートル15分32秒41、ハーフマラソンは1時間12分34秒。

 ◆マラソン2度目

 昨年3月の名古屋国際で初マラソンを予定していたが、東日本大震災のため中止に。スライドした4月のロンドンは2時間31分28秒で24位だった。

 ◆面食い?

 趣味は音楽鑑賞。好物は焼き肉といちご。好きな俳優は松山ケンイチ。

 ◆2人きょうだい

 家族は母民恵さんと兄貴行さん(27)。168センチ、50キロ。