プレーバック日刊スポーツ! 過去の2月14日付紙面を振り返ります。2005年の1面(東京版)は、宮里藍&北田瑠衣が女子W杯で世界一でした。

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<女子W杯>◇最終日◇13日◇南アフリカ・ファンコートCC(6402ヤード、パー73)◇賞金総額100万ドル(約1億500万円)優勝20万ドル(約2100万円)

 藍&瑠衣コンビが、激闘を制して初代世界一の座についた。宮里藍(19=サントリー)と北田瑠衣(23=フリー)の日本が、通算3アンダーで初優勝を飾った。2人のストロークを合計して競う最終日、宮里はベストスコアの67をマークし、82と崩れた北田をカバーして通算3アンダーとした。2位の韓国、フィリピンを2打差で振り切った。日本の若き2人がゴルフ界に金字塔を打ち立てた。

 しびれるような興奮と感動が全身を包み込む。19歳の宮里と23歳の北田が金字塔を打ち立てた。30センチのウイニングパットを沈めた北田が、宮里に歩み寄る。言葉にならない。力を合わせた2人が、泣いて抱き合い喜んだ。

 「本当にうれしい。何より1回目に勝てたのがうれしい」と宮里が言えば、会見でも涙が止まらなかった北田は「調子がよくなくて…。藍ちゃんが頑張ってくれたから…。すごく、うれしいです」と言葉を詰まらせた。

 体が震えるような激闘の中、終盤の17番で勝負を決めた。ここまでパットに苦しみ1人で10オーバーと乱れていた北田が意地を見せた。「ずっとパットが入らなくて、すごく怖かった。日本に帰れないんじゃないかって」。勇気を振り絞り5メートルを放り込んだ。宮里も60センチのチャンスをしっかり決めてダブルバーディー。「1アンダーで並んでいた韓国、フィリピンに一気に2打差をつけ優勝を手中に収めた。

 重圧に悩む北田と対照的に、宮里は猛烈にチャージした。1番で幸先よくバーディー。7番ではチップインを決めた。10番まで4連続バーディー。アウト31は同コースの女子ベストスコア。一時は6打差で首位を快走した。だが、11番で北田が左のブッシュに打ち込みトリプルボギー。下位から激しい追撃にあった。だが、宮里は耐えた。「私も去年の全英で悔しい思いをした。パットが入らないもどかしさは分かる」。北田がリズムを取り戻すまで必死に我慢した。実にバーディーは7つ。この日の67は世界から集まった40人中1位。デービース(イングランド)ウェブ(オーストラリア)ら強豪も上回る文字通りの世界一に輝いた。

 苦い経験が飛躍を呼んだ。初めてメジャー大会に挑んだ昨年7月の全英女子オープンで予選落ち。ホールアウト後のパット練習では悔し涙が止まらなかった。日本ツアーに戻ると暗くなるまで練習グリーンに残った。女王不動と競うようにパットを繰り返した。昨秋のソレンスタムとのラウンドも生かした。「すべてにおいて自信を持ってやっている。楽しく、平常心で」。宮里は赤、北田は白のシャツを着てプレーした。日本代表を意識した「日の丸ファッション」。国を背負って戦う意識も集中力につながった。

 男子W杯では57年に中村寅吉、小野光一組、02年に丸山茂樹、伊沢利光組が世界一になった。宮里と北田が成し遂げた快挙で、昨年からの女子ゴルフ人気に拍車が掛かるのは間違いない。19歳と23歳の「大和なでしこ」が、ゴルフ史に価値ある1ページを刻んだ。

 ◆宮里藍(みやざと・あい)1985年(昭60)6月19日、沖縄・東村生まれ。4歳からティーチングプロの父優さん(58)の勧めでゴルフを始める。宮城・東北高では02年釜山アジア大会金メダル、03年日本女子アマ優勝。同9月のミヤギテレビ杯ダンロップでアマながらツアー優勝を飾りプロ転向。昨年は5勝し賞金ランク2位。ツアー通算6勝。家族は父、母・豊子さん(53)。長兄・聖志(27)、次兄・優作(24)はともにプロゴルファー。154センチ、53キロ。

 ◆北田瑠衣(きただ・るい)1981年(昭56)12月25日、福岡市生まれ。10歳からゴルフを始める。福岡・沖学園高1年時にはアマ日本代表の「ナショナルチーム」に抜てき。01年日本女子アマ準優勝。折尾女子経済短期大を中退し02年プロテスト一発合格。03年賞金ランク35位で初シード。昨年ニチレイ杯でツアー初優勝するとNEC軽井沢、SANKYOと3勝し、賞金ランク3位。ツアー通算3勝。家族は父茂樹さん(58)。160センチ、54キロ。

※記録と表記は当時のもの