サクラセブンズの道産子も歓喜の輪に加わった。日本代表、桑井亜乃(26=アルカス熊谷、帯広農高出)が、リオ五輪切符獲得に貢献した。8日まで行われた香港大会から全12試合で先発出場。通算4トライを決め、両大会優勝への原動力となった。陸上競技から転向4年目。目指してきた夢舞台へ、次は五輪での日本代表入りを狙う。

 ベンチからピッチに駆けだした桑井は、メンバー最長身171センチの体でチームメートを包み込むように抱きしめた。整列し、スタンドに向かってあいさつする時、仲間と笑顔で喜んでいた表情は、ぐっと涙をこらえるようだった。「鳥肌が立った。周りのみんなに恵まれて感謝している」と達成感にあふれた。

 大一番の決勝、カザフスタン戦。前半3分、敵陣ゴール前のラックからボールを出し、先制トライへのラストパスを送った。後半1分に交代するまでピッチを駆け抜けた。同日の1次リーグ同カードでは、前半8分に相手のタックルに負けずインゴールに飛び込み、日本大会での初トライ。逆転負けはしたが、秩父宮で得点を刻み、躍動した。

 陸上からラグビーへ、競技を変えてでも目指した舞台だった。「私にとって五輪は大きな夢だった」。3人姉妹の末っ子は何ごとも1位を目指した。小学生時代、朝のラジオ体操でスタンプを押印してもらった順に町内ランニングをスタートできたため、トップを狙い30分前から並ぶ根性を見せた。努力家はめきめき成長し、帯広農高時代には国体の円盤投げで5位入賞したが、中京大時代は振るわず、悩んだ時に出会ったラグビー。年間200日以上の日本代表の活動を続けてきたのも、この歓喜の瞬間のためだった。

 7人制ラグビーが初めて正式種目となるリオデジャネイロ五輪。初出場を勝ち取ったチームの一員として、日本ラグビー界の歴史にも名前を刻んだ。だが、本番はこれから。次は世界に勝負を挑む。「五輪はスポーツの祭典。最高の場所になる」。いつでも1番を目指していた少女は、まずは五輪での日本代表入り、そして金メダルを狙っている。【保坂果那】

 ◆桑井亜乃(くわい・あの) 1989年(平元)10月20日、幕別町出身。幕別小1年から陸上を始め、幕別中3年から投てきを始める。帯広農高では2年時に国体少年女子A円盤投げで5位入賞。2、3年時に総体出場。中京大卒業後の12年4月にラグビーを本格的に始め、13年1月に日本代表メンバー初選出。同4月に立正大大学院に入学し、クラブチームのアルカス熊谷に所属。卒業後の15年4月から百貨店の八木橋(埼玉・熊谷市)に勤務。家族は両親と姉2人。171センチ、67キロ。