世界ランキング5位の日本が、4大会連続のリオデジャネイロ五輪出場権を獲得した。同8位のイタリアに2-3で敗れたものの、2セットを奪って勝ち点1を加え、22日の最終戦を前に8チーム中の4位以内が確定した。日本女子バレーボール界で初めて4度目の五輪を決めたウイングスパイカー木村沙織(29=東レ)がエースで主将の重圧を乗り越え、チームをリオへ導いた。五輪本番では前回の銅に続く2大会連続のメダルを目指す。

 研ぎ澄まされた表情で、2枚のブロックを抜きに抜いた。第4セット、24-21から自身のスパイクで五輪を決めると、少しだけ頬を緩ませた。敗れたため、試合後に笑顔はなかったが「少しだけホッとした。みんなで心を1つにしてやれた」と仲間へ感謝の気持ちを言葉にした。

 13年に主将になった。ロンドン五輪以降、何度も真鍋監督の頼みを断ってきた。「代表の重みもわからないままやっていた」という17歳の時から吉原、荒木ら主将、竹下といったチームの柱を見てきた。だからこそ感じていた。「私にはこうはできないな。前に立つ性格でもないし」。当時、引退も頭にあった。それでも引き受けた理由は後輩の存在だった。

 「自分たちで勝ち取って五輪に出る厳しさを経験して、東京五輪に向かって成長してほしい」。4年前の五輪予選は4勝3敗で辛くも通過。五輪がかかった時に襲う恐怖が、自身を強くした。今度は支える番。LINEを開き「やります。」とつづって真鍋監督へ送った。

 若手を思う木村らしくチーム作りに取り組んだ。合宿中、ミーティングがあった時には解散後の夜に若手の部屋を訪れ、意見を聞いた。昨年代表入りした22歳の鍋谷を「チームの喜び方を考えてね」とムードメーカー役に任命。アタック、ブロック、サーブの得点3パターンで喜び方を決める中で、鍋谷を率先してチームの和に入れた。また最終予選の直前で落選した22歳の大竹には、円陣での声だし役を頼んだ。「うれしかったし、自分がもう1度五輪を目指すためにも、チームが勝つためにやらないと、と思えた」と大竹。ロンドン五輪を経験した最年長の山口は「今のチームは若手に勢いがある」と話した。

 常にチームを見渡しながら迎えた最終予選。1つ決心した。「プレーで頑張る。私は気の利いたことは言えない。苦しい時に決めてチームを前向きにする」。右手小指を痛め先発を外れた18日のタイ戦はフルセットの激闘に。第1セットは競り負けた。そこからテーピングをして出場、後がない第4セットでは21-21から「絶対に終わらせない」と自ら3連続ポイントを決めた。「沙織さんは絶対的な存在です。コートにいてもらわないと困る」と迫田。飾らない背中で背負う期待に、この日チーム最多の31得点で応えた。【岡崎悠利】

 ◆木村沙織(きむら・さおり)1986年(昭61)8月19日、埼玉県八潮市生まれ。ポジションはウイングスパイカー。東レに所属。小2で競技を始める。成徳学園(現下北沢成徳)高2年の03年春高で優勝し、同年初の日本代表入り。五輪は04年アテネ、08年北京、銅メダルを獲得した12年ロンドンと3大会連続で代表に選出。13年から主将を務める。185センチ、65キロ。

 ◆木村の五輪 04年アテネ五輪に東京・下北沢成徳高3年の17歳で出場。当時抱えていた腰痛の影響で出場機会はほとんどなく、チームは準々決勝で中国に0-3と敗れた。08年北京五輪には、Vリーグで東レを初優勝に導くなどさらに力をつけて参加、結果はアテネに続いて5位だった。そしてエースとして挑んだ12年ロンドン五輪は、準々決勝の中国戦で33得点を挙げるなどし、28年ぶりの銅メダル獲得に貢献した。