テニスの混合ダブルスで夢のプランが浮上した。男子のエースで世界25位の錦織圭(21=フリー)と女子で同87位のクルム伊達公子(41=エステティックTBC)が、来年1月16日開幕の4大大会初戦全豪オープンで、混合ダブルスを組む可能性が出てきた。テニス関係者が23日、明らかにした。混合は来年のロンドン五輪で1924年パリ大会以来、88年ぶりに正式種目に復帰する。もし両者が出場権を得られれば、夢のタッグでメダルも見えてくる。

 世代を超えた夢のコンビが誕生しそうだ。10月に日本男子最高位を更新し、日本男子として初めて世界1位を撃破した戦後最高の日本男子のエース、錦織。そして、元世界4位。現役復帰後は驚異的な肉体と精神力で、アラフォーの星として次々と年長記録を更新するクルム伊達。2人が来年1月に混合ダブルスを結成する可能性が急浮上した。

 2人とも1月16日にオーストラリア・メルボルンで開幕する全豪オープンのシングルス出場が決まっているが、並行して32組が出場する混合でペアを組んで出場する計画もあるという。混合は2人の世界ランクを足して合計の少ない順から出場が決まる。ともにシングルスで上位に勝ち上がった場合は見合わせる可能性もあるが、テニス関係者は「(現在時点で)やろうという方向で進んでいる」と明かす。

 もともと今年の全米オープンで、2人で混合に出場する可能性があった。しかし、クルム伊達が大会前の8月に不注意から左手甲と小指の骨にひびが入った。全米には強行出場したものの、混合までできる状態ではなかった。錦織もシングルス1回戦で敗れ、夢のペアはお預けとなっていた。

 2人は20歳差。90年代のクルム伊達の全盛時代に錦織はまだプレーしておらず、クルム伊達が現役復帰後に知り合った。錦織にとってクルム伊達は伝説の人だった。そのクルム伊達とツアーを回るようになって意気投合、一緒に食事をすることも増えた。テニス界を盛り上げるためにも、混合を組む話が浮上した。

 混合は1934年(昭9)のウィンブルドンで三木竜喜が英国人選手と組んで優勝し、日本人初の4大大会タイトルを取った記念すべき種目。全豪でも32年に佐藤次郎が準優勝している。もし、錦織、クルム伊達が優勝すれば全豪史上日本人初の快挙となる。混合は、年間で4大大会しかないため、どのペアが勝つか予想することは難しく、それだけどのチームにも上位進出の可能性がある。

 さらに88年ぶりに正式種目に復帰したロンドン五輪での混合は、メダルへの最短距離とも言える。出場ペア数はわずか16組。2回勝てばベスト4に進出する。準決勝で負けても3位決定戦で勝てば銅メダルとなる。村上武資五輪代表監督も「もし出られるなら可能性は十分。五輪までに世界ランクを上げて、シードに入ればメダルの可能性はより広がる」と、2人のペアに期待する。

 日本の五輪初のメダルはテニス競技だった。20年アントワープ大会で熊谷一弥がシングルスと、熊谷が柏尾誠一郎と組んだダブルスで銀メダルを獲得した。それ以来、日本テニス界は五輪のメダルから遠ざかった。世紀を超えた92年ぶりのメダルを、夢のコンビがもたらすかもしれない。

 ◆錦織圭(にしこり・けい)1989年(平元)12月29日、島根県松江市生まれ。5歳でテニスを始め13歳で米国にテニス留学。08年2月に日本男子史上2人目のツアー優勝。同年全米では日本男子71年ぶりの4回戦進出。09年3月から右ひじの故障で約1年間、実戦から遠ざかった。今年10月に世界30位となり、日本男子過去最高位を19年ぶりに更新。11月には日本男子として初めて世界1位に勝利。北京五輪代表。178センチ、70キロ。自己世界最高ランク24位。

 ◆クルム伊達公子(だて・きみこ)1970年(昭45)9月28日、京都市生まれ。6歳でテニスを始め、園田学園高卒業と同時にプロに転向、全米以外の4大大会ですべて4強入りを果たした。96年フェド杯では世界1位のグラフを破る大金星。同年9月に引退。08年4月に現役復帰。09年韓国オープンで歴代2番目の年長でツアー優勝。自己最高世界ランクは日本人最高4位。164センチ、53キロ。