<男子テニス:楽天ジャパン・オープン>◇決勝◇最終日◇7日◇東京・有明コロシアム

 日本テニス界のエースで世界ランク17位の錦織圭(22=日清食品)が、日本男子史上初のツアー2勝目を挙げた。同15位のミロシュ・ラオニッチ(21=カナダ)を7-6、3-6、6-0で下し、73年に大会がツアー公式戦になって以来日本男子初優勝。時速230キロ近いラオニッチのサーブを必殺のリターンで粉砕、2時間8分の激闘を制した。日本男子のツアー優勝は92年韓国オープンの松岡修造、08年デルレービーチ国際の錦織に次ぐ3度目。優勝賞金30万8000ドル(約2464万円)を獲得し、今日8日に発表予定の最新世界ランクで15位となり、自身が持つ日本男子最高位を更新する。

 1万3000人以上のまばゆいばかりのフラッシュが錦織をたたえる。日本男子の誰もが手にできなかったトロフィー。夕闇迫るセンターコートで、誇らしげに「どや顔」で掲げた。「信じられない。信じられないぐらいうれしい」。感極まり、涙がこぼれるのを必死でこらえた。

 4本目のマッチポイント。最後の力を振り絞って、196センチの巨漢のラオニッチが攻めてきた。錦織は走り回り食らいつく。やっと届いたバックはロブショットになった。ネットで仁王立ちのラオニッチがボレーをしたが、無情にもネットに突き刺さった。

 その瞬間、錦織は膝に手をつき、崩れ落ちそうになる体を支えた。喜びで髪をかきむしり、何度も天を仰いだ。「もう100点と言いたい内容。それが、日本という地元で格段にうれしい」。08年2月にデルレービーチ国際で予選から勝ち上がりツアー初優勝。それから4年で、ついに地元での初Vと日本男子前人未到のツアー2勝目を手にした。

 ラオニッチに対し、錦織は身長で18センチも低い。サーブのスピードは相手が最速228キロに対し、錦織は最も遅いサーブで140キロ前後。最大で時速88キロの差が生まれた。しかし、ボールに食らいつき、「自分のテニスをして思いきりいこう」と、必殺のリターンでラオニッチという大きな壁に少しずつ穴をあけ、第3セットは1ゲームも与えずに粉砕した。

 13歳で拠点を米国に移したからこそ、逆に地元日本への思いは強い。普段は体力を考え、ダブルスはプレーしないが、今大会はファンのために出場。ダブルス準々決勝に敗れたのが4日午前0時半を回っていたが、翌日の昼にはファンイベントに会場で参加した。

 これまで地元大会への思いは重圧となっていた。過去4度の出場は3度が初戦負け。08年の3回戦進出が最高だった。昨年は初戦で世界5位のフェレールと対戦する不運もあった。日本のエースとして、絶対に期待に応えたいという思いが空回りした。「縁がないのかな」と思うほど、悩んだ。

 現在こそ日本男子はトップ100に3人いる。しかし、昨年までは孤軍奮闘が続いた。今大会の初戦で日本男子最大のライバル、添田と対戦し、今年7月に敗れた雪辱を果たした。「その試合は特別のものだった。少し気持ちが晴れた」。地元での重圧から少しだけ解き放たれた。

 重圧を感じていた日本で、錦織を支えたのも、また日本のファンだった。この日、ピンチになるたびに、大観衆が錦織を後押しした。この優勝で世界ランクは15位となり、日本男子最高位を更新する。「大きな自信で、これから強い気持ちを持って臨める。もっと上を目指したい」。大きなステップを踏み出した錦織の目には、来季のトップ10が見えている。【吉松忠弘】

 ◆錦織圭(にしこり・けい)1989年(平元)12月29日、島根県松江市生まれ。5歳でテニスを始め、13歳で米国にテニス留学。08年2月に日本男子史上2人目のツアー優勝という快挙を達成した。同年全米では、日本男子71年ぶりの4回戦進出。09年3月から右肘の故障で約1年間、実戦から遠ざかった。昨年11月に、日本男子として初めて世界1位(当時)のジョコビッチを破り、松岡修造の日本男子最高位46位を、19年ぶりに更新した。今年1月の全豪では日本男子80年ぶりにベスト8に進出。ロンドン五輪は5位入賞。178センチ、74キロ。