<テニス:楽天ジャパン・オープン>◇最終日◇5日◇東京・有明コロシアム◇シングルス決勝

 世界7位の錦織圭(24=日清食品)が、日本人初の2週連続優勝で号泣だ!

 同8位のミロシュ・ラオニッチ(23=カナダ)を7-6、4-6、6-4の2時間12分で撃破し、2年ぶり2度目の優勝を飾った。合計33ゲームは大会史上最多ゲーム数決勝の激戦だった。11月のツアー最終戦出場に向けて、今日6日発表のレース順位では5位に浮上。最新世界ランキングでも、アジア男子最高位を更新し6位となることが決まった。

 あおむけに倒れた錦織の目から、涙が止めどもなく流れた。両手で顔を覆う。肩が波打つ。ぬれたまつげが、室内のカクテル光線に光った。「信じられない。勝利がうれしすぎて、ちょっと涙が出ちゃいました」。コートから関係者席に一目散に走った。スタッフ1人1人と抱き合った。「本当にみんなに感謝している」。思わず感極まった。

 時速230キロ近い殺人的なラオニッチのサーブで、22本のエースを奪われた。しかし、試合前にチャン・コーチに言われていた。「いいサーブが来た時はあきらめろ。1回か2回来るチャンスの時に攻めていけ」。果敢に体を投げ出し、必死で食らいついた。奪った得点は錦織97に対し、ラオニッチが96。わずか1点差の激戦だった。

 全米から激闘の40日間だった。8月26日の全米1回戦から決勝まで、4時間超えの2試合を含む7試合を戦い9月13日に帰国。イベントをこなし19日にクアラルンプール入り。初戦の2回戦から4試合を戦い優勝。決勝28日の翌朝に帰国し、30日から再び有明で連日連戦で優勝だ。

 珍しく弱音を吐いた。「限界を超えていた」。全米後は「ひと息つきそうな感覚を必死でこらえた」。全米準優勝という歴史をつくり、その後も体や心の緊張を維持するのは並大抵ではない。満身創痍(そうい)の心と体はいつ崩れてもおかしくなかった。その不安だらけの中で勝利をもぎ取った。「またひとつ壁を乗り越えられた」。

 全米から今大会まで、この1カ月半で、世界ランキングのポイントを1950点の荒稼ぎ。出場資格のレースは5位となり、年末の上位8人が出場できるツアー最終戦(11月)に前進した。「来週、上海がある。でも、この喜びに少しだけ浸りたい」。涙は、笑顔に変わった。そして今日から、再び戦いの舞台へと錦織は旅立つ。【吉松忠弘】<錦織圭(にしこり・けい)アラカルト>

 ◆生まれ

 1989年(平元)12月29日、松江市生まれ。5歳でテニスを始める。姉玲奈さんとの2人姉弟。178センチ、74キロ。

 ◆チーム・ケイ

 拠点とする米フロリダにあるIMGアカデミーでは、錦織を支えるチームを結成。ボティーニ・コーチとチャン・コーチを筆頭に、中尾トレーナー、マネジャーら7人が支える。

 ◆エア・ケイ

 08年2月17日、日本男子2人目のツアー優勝を遂げたデルレービーチ国際で、テレビの解説者が、跳びはねて放つフォアをバスケットの「エア・ジョーダン」になぞらえ「エア・ケイ」と命名。代名詞となった。

 ◆キング・ケイ

 小さいころから、写真を撮ると、真ん中に陣取らないと気が済まない。トランプで負けが続くと、机をひっくり返したこともある王様気質。

 ◆相田みつを

 中学生のころ、いのちの詩人と呼ばれる相田にはまり、書き写していた。1度だけ、テニスをやめたいと思った時、両親が相田の詩を贈った。

 ◆ラーメン

 和食好みで、帰国したら、必ずラーメンを食べる。豚骨が好み。

 ◆サッカー

 小さいころにテニスと並行して小1から小6までプレー。実家にはメッシのサイン入り代表ユニホームが飾ってある。