高校最速163キロ右腕のロッテドラフト1位、佐々木朗希投手(18=大船渡)が11日、本拠地ZOZOマリンでの新人合同自主トレ初日に臨んだ。今年から、日本ハム、ロッテなどで捕手を務めた田村藤夫氏(60)が日刊スポーツ評論家に加入。パ・リーグ一筋21年、さまざまな投手の球を受けてきた目で「令和の怪物」のプロの第1歩を追った。肘、肩甲骨の柔らかさに目を見張る一方で、ケガを防ぐための注意点も指摘した。

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私は1977年ドラフトで日本ハムに指名され、途中でフロントに転身したことが1年あったが、おかげさまで昨年まで計5球団で42年間ユニホームを着ていた。今回、こうしてメディアの側となって、未来のエース候補たちを見る機会に接し、現場時代とはまた違う新鮮な気持ちになった。

多くのメディアに囲まれた佐々木を見て、私のルーキーイヤーだった1978年、日本ハム多摩川グラウンドでの新人自主トレが思い起こされた。当然、メディアは誰もいなかった。だから、こうして多くのカメラを向けられる佐々木の気持ちは推し量れないが、慣れないことで精神的な負担はあるだろうとは想像できる。

ストレッチからアップに入り、いよいよキャッチボールが始まるという時、仲間からフワリと下手投げで投げられたボールを佐々木は右手で受け取った。一瞬、自分の日本ハム時代の恩師、大沢監督の声が聞こえた気がした。「投手は利き手でボールを捕るな。突き指したらどうすんだ!」。

確かに、これは佐々木に限らず、新人選手は心に刻んでほしい基本。投手が突き指したら大変なこと。治るまでピッチングはできなくなる。

この日、キャッチボールの後に新人選手は内野ノックを受けたが、佐々木は捕球のタイミングがしっかりしていて、打球への入り方がうまいと感じた。

一方で、両手で捕球する時に右手をグラブに添えるのが早く感じ、見ていて突き指しないかとハラハラした。内野手のように、もっと右手を手のひらからグラブに近づけるように丁寧に添えるか、投手なのだからグラブだけで捕球するようにした方が、不測の事態は防げる。長い選手生活を無事に過ごすためにも、是非覚えておいてもらいたい点だ。

肝心のキャッチボールでは、佐々木の柔らかさ、しなやかさが非常に印象に残った。最初のストレッチでは肩甲骨付近の柔軟性に目を見張った。思い出したのは、球宴や日米野球で一緒になった野茂だ。佐々木はキャッチボール前にいわゆるマエケン体操をしていたが、肩甲骨の柔らかさは、スピードを生むためには非常に重要。ダルビッシュ、郭泰源も同じように柔軟であり、素晴らしいスピードを持っていた。

佐々木はキャッチボールを始めると肘、手首をリラックスさせ、本当に上手に力を抜きながら投げていた。この光景は、日本ハム入団1年目のダルビッシュと重なった。当時、私は日本ハムの1軍バッテリーコーチで、05年1月の新人合同自主トレでのことをよく覚えている。ダルビッシュはキャッチボール後のクールダウンの時、ほぼ変化球しか投げなかった。スナップを利かせ、手首の柔らかさが非常に印象に残ったことを記憶している。

あまりにも変化球が多いので、ストレートに自信がないのかな、と思っていたくらい。それがブルペンではものすごいストレートを投げていた。キャッチボールでは手首などをよくほぐすことを念頭に臨んでいたのだろうと、当時は受け止めていた。この日、佐々木の似たような姿を見ると、近いうちにブルペンでどんな真っすぐを投げるのか、非常に楽しみになってきた。

肩甲骨、手首、肘の柔らかさ。この特質はスピードボールを投げる投手の共通項。速球派で緩いボールを投げられないタイプもいるが、柔軟性から生まれるスピードは、次元の違いを感じさせてくれる。そういう点で、佐々木のフィジカルには無限の可能性がある。

今の佐々木に大切なのは、焦らない、1歩ずつコンディションを上げていく、このことに尽きると思う。この日は、同じグラウンドで先輩選手たちが遠投をしていた。左翼スタンドには新人合同自主トレを見ようと大勢のファンが集まっていた。その中で、先輩たちはおよそ80メートルほどの遠投を難なく投げ、スタンドから大きな拍手を浴びていた。

そういう時の新人選手の気持ちは手に取るように分かる。「早く、自分も強く遠くへ投げたい」。そう思うのも無理はない。そこで首脳陣が、上手に手綱を引いて、焦らさず、前向きな気持ちで体力強化につなげることが非常に大事だ。特に入団した直後のこの時期はより一層、周囲の配慮が必要になる。

ダイエー時代にともにプレーした井口監督が視察に来ていたので、あいさつをした。佐々木のデビューについては「急ぎません。8月くらいですかね」と話していた。順調に体力をつけ、コンディションが上がれば、調整の前倒しは可能。早まることはポジティブな印象になる。逆に、公式戦での登板を5月や6月に設定したとして、もしも、それが間に合わなくなると、選手本人が一番焦ることになる。そういう観点からも、8月をめどにしている首脳陣の考え方には、佐々木を大切に育てたいという意思を感じた。

佐々木を始めとした新人選手は、これからプロとの体力差をトレーニングで埋めていく。40年以上前にプロ野球の世界に飛び込んだ頃を思い起こしながら、これから輝いていく若手をじっくり取材していきたい。(日刊スポーツ評論家)


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◆田村藤夫◆ たむら・ふじお。1959年(昭34)10月24日生まれ、千葉県習志野市出身。関東第一から77年ドラフト6位で日本ハム入団。81年9月27日の阪急戦で1軍デビューし、いきなり世界の盗塁王福本の盗塁を阻止。89年10月1日のダイエー戦ではサイクル安打。ロッテ-ダイエーを経て98年引退。引退後はソフトバンク、日本ハム、中日、阪神でコーチを務めた。


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<主な高卒新人投手の合同自主トレ初日>

◆99年松坂(西武) 1月12日、初練習に取材陣106人、ファン100人が集まった。75球のキャッチボールを行うも、推定120キロ以上の速球にトレーナーから「飛ばし過ぎるなよ!」とブレーキ指令も。

◆05年ダルビッシュ(日本ハム) 1月12日の練習に参加も、前年12月に発症した右膝関節炎の影響もあり、下半身に負荷がかかるメニューは見合わせ。2日後の再検査の結果、ランニング禁止に。

◆07年田中(楽天) 1月8日、長距離走では新人8人中「独走」の最下位。金崎コンディショニングコーチから「今日のタイムでは厳しい」と落第を宣告。

◆10年菊池(西武) 1月9日、苦手の長距離走で新人6人中1位となり「思ったより速いペースでいける」と手応え十分。予想を超えた仕上がりに、ブルペン入りが当初の予定から前倒しされることに。

◆13年大谷(日本ハム) 1月11日、栗山監督ら首脳陣と報道陣約100人が見守った中でのキャッチボールは、緊張で大暴投する場面も。ティー打撃も125スイングと、投打両面のメニューをこなした。

会話を交わす田村氏(左)とロッテ井口監督(撮影・横山健太)
会話を交わす田村氏(左)とロッテ井口監督(撮影・横山健太)