東北(宮城)や九州国際大付(福岡)など高校野球の強豪で指揮を執った若生正広氏(70)の訃報が届いたのは、27日の朝だった。

マツダスタジアムに現れた日本ハム清水優心捕手(25)の表情は、明らかに沈んでいた。「今朝、母からのLINE(ライン)で知りました。危ないかもとは聞いていたんですけど、こんなに早くとは。寂しい限りです」。九州国際大付の主将兼4番として、若生監督とともに夏の甲子園に出場したのは14年。高校時代は、たびたび誘われ、一緒に銭湯へ行き、背中を流した。銭湯での監督は、いつも優しかった。そんな思い出話を笑顔で話していたことを、ふと思い出した。

山口出身の清水が九州国際大付へ進学したのは、高校野球で名将と呼ばれた若生氏が監督を務めていたからだ。当時は、プロになるなんて、考えてもいなかった。「『お前はプロに行ける』と言われて自信になった。技術よりトレーニングを大事にする方だったので、体が強くなった。プロ野球選手になれたのは監督のおかげ」。人生を変えた出会いに、感謝した。

5歳下の弟も埼玉栄(埼玉)で若生氏の教えを受けており、とても縁が深い。「本当にかわいがってもらったし、恩しかない。よく叱られたけど、その中にも愛を感じた。まだパッとした活躍が(プロで)出来ていないので、見せられたら一番良かったんですけど…。結果で、天国の監督さんにいい恩返しが出来れば」。正捕手候補の25歳。恩師の大きな背中を思い出しながら、胸を張れるような活躍を、静かに誓った。【日本ハム担当 中島宙恵】