海の向こうではエンゼルス大谷が、メジャーの歴史に名を残そうとしている。打っては40本塁打をクリアし、投げては8勝をマーク。ところが実は日本に、大谷の上を行くともいえる究極の二刀流選手がいた。初代ミスタードラゴンズ、西沢道夫がその人だ。同一年ではないものの、投げては20勝、そして打っては40本塁打を超えた日本プロ野球唯一の選手である。そして西沢は、ほぼ間違いなく永久に破られることのない記録をいくつも誇っている、まさに規格外の選手だった。

1921年(大10)9月1日、東京都生まれ。36年12月、テストを受け名古屋(現中日)へ投手として入団した。翌年37年9月5日、金鯱戦で7回から登板し、デビューを果たした。当時16歳0カ月。これは現在も、プロ野球出場の最少年齢である。よほどのことがない限り、このときより若い選手の公式戦出場は今後もないだろう。

当時としてはかなり長身の、182センチの体を生かし頭角を現す。40年には20勝を挙げた。42年5月24日大洋戦では、延長28回を1人で投げ抜き4-4の引き分けという、これまたすさまじい記録も残した。1人が1試合で投げたイニング数の、NPB最長記録である。新型コロナウイルスのため延長戦を行わない今季のプロ野球から考えると、まるで別世界の出来事だ。こちらもまず間違いなく、更新されることはなさそうだ。同年7月18日の阪急戦ではノーヒットノーランも達成し、投手としても素晴らしい実績を残した。

46年途中に、ゴールドスターへ移籍し、野手へと転向する。49年に中日に戻ると、50年にはなんと46本塁打をたたき出した。同年に放った5本の満塁本塁打は、現在もプロ野球記録として残る。52年には打率3割5分3厘、98打点で2冠を獲得。54年に達成した5試合連続猛打賞は現在もプロ野球最長で、ほかには03年井口資仁(ダイエー)しかいない大記録である。

58年限りで引退し、破天荒な選手人生に幕を下ろした。投手として60勝。打者としては212本塁打、1717安打、940打点。背番号15は中日の永久欠番である。64年途中から67年まで古巣の監督を務め、77年56歳の若さで亡くなった。今年は生誕100年に当たる。「初代ミスター二刀流」は天国から、2代目ミスター大谷の活躍を見守っている。【記録担当 高野勲】