広島へ向かう航空機を待っていた巨人原監督は、その時間の早さをしみじみと実感した。「早いなあ」。13年前の4月7日、内野守備走塁コーチだった木村拓也さんが亡くなった。「すげえプレーもするけど、すげえ凡プレーもやってね。キャッチャーやってくれって言って、キャッチャーやってくれてね。やっぱり基本ファイターだったよね。基本ファイター」。今も忘れない。マスクをかぶった木村さんの姿をハッキリと覚えている。
09年9月4日ヤクルト戦、捕手を使い切った展開で起用した。投手以外の守備位置をすべて経験した究極のユーティリティーだった。今季も、大城卓が先発し控え捕手が小林の1人だった2日中日戦(東京ドーム)で、内野手が本職の増田大に「頼むな。準備しといてくれ」と、“第3捕手”として準備を促した。
ユーティリティーの系譜を紡ぎながら戦力バランスを見定めながら采配を振る。不慣れなポジションを準備させるかたわらで「(増田大の)その心意気を買ってほしい」と気を配るのは、親心から。広島11年、巨人5年。そのユニホームに袖を通した両チームが相まみえた命日に白星を届けられなかったが、原監督の胸にそのファイターの姿は、今もしっかりと息づいている。【巨人担当 栗田成芳】




