新たな快挙によって、古い記憶や記録が思い出されることがある。阪神の往年の強打者、後藤次男の名が、ファンの目に触れた。若きリードオフマン、近本のバットによってだ。後藤はプロ1年目から5年間の安打数合計740本で、これまで球団最多およびプロ野球4位につけていた。長らく「クマさん」の愛称で球団内外から愛された。

熊本の名門、熊本工の出身で、どことなくクマを思い起こさせる優しい風貌だった。そこでこの異名がついた。法大を卒業するときには複数球団の誘いを受け、阪神に入団。入団するやいなや、新人年から

48年 129安打

49年 142安打

50年 153安打

51年 155安打

52年 161安打

と量産。1年目から5年間の安打数としては、20世紀中は長嶋茂雄763安打に次ぐ2位を誇っていた。シーズン試合数の増えた今世紀に入り、新鋭が上を行き始めた。それでも

(1)長野久義(巨人)767

(2)長嶋茂雄(巨人)763

(3)近本光司(阪神)754

(4)青木宣親(ヤクルト)744

に次ぐ5位は堂々たる数字である。

人望の厚さから、阪神の監督を2期各1年務めた。甲子園のそばに住んでおり、球場までは自転車で通うという庶民派でもあった。

69年は新人の田淵幸一を使いこなして新人王を取らせるなど、2位と健闘した。村山実の兼任監督就任にともない1年で退任。

だが2期目の78年には投手陣が崩壊し、球団創立以来初の最下位に転落。1年でユニホームを脱いだ。

とはいえプロの眼力は、鋭く、チームの在り方にも一家言を持っていた。

「選手と監督、または選手同士が目と目を合わせただけで、状況に応じた次のプレーができる。そのときこそ、真のプロ野球といえるだろうね」

近本が乗り越えた大先輩は、こう語っていた。中野との絶妙の1、2番コンビなどを見るにつけ、今の阪神にはその教えが息づいているに違いない。71年の時を経て塗り替えられた快記録。アレへの貴重な一里塚へとなりそうだ。

【記録室 高野勲】(22年3月のテレビ東京系「なんでもクイズスタジアム プロ野球王決定戦」準優勝)