かつての輝きを取り戻す-。ソフトバンク風間球打投手(20)が背水の覚悟でプロ3年目を迎えている。「当然、危機感はあります。2年間投げていないわけなので」。

3年前。高3時の風間は紛れもなくスターだった。当時、世代最速の157キロ直球を誇り、同年代の阪神森木、DeNA小園、日本ハム達らと「高校四天王」と称された。

21年にノースアジア大明桜(秋田)からドラフト1位で入団。鳴り物入りでプロの世界に飛び込んだ。球団からは背番号「1」を託され、未来のエース候補としての期待をかけられた。ただ、22年に右肘痛、昨季は腰椎分離症を発症。度重なるけがに泣いた。プロ2年間のここまで1軍未登板。2軍戦でも登板機会は1度もない。

記者は高校時代の風間を取材している。22年までの4年間は、東北6県のアマチュア野球を担当していた。21年春季秋田県大会準決勝で「先発・風間」を現地で初めて見ることになった。7回を無失点、14奪三振の圧倒。150キロ台を連発し、失点する気配すら感じなかった。風間は「高校3年の春がこれまでで一番良かった」と振り返る。

プロ入り後はかつての剛腕ぶりは影を潜めている。「けがをしてから考え過ぎるようになった。制球をよくしようとか、自分は考え過ぎたらだめ。フラットに、今はとにかく強い球をど真ん中に投げるくらいのつもりでやっています」。B組(2軍)の今キャンプでは最速149キロと、徐々に球威も取り戻しつつある。

高校時代に取材したことはあったが、風間は記者の顔など覚えていなかった。それもそうだ。高校時代は3年夏にでもなれば、試合後取材に風間を約20人ほどの報道陣が囲んだ。地元記者のみならず、在京メディアも駆けつけた。当時はコロナ禍とあって、取材も規制が厳しく「監督、選手2人」と制限が設けられた。選手は各社による“投票制”で決まる。風間の登板機会がない試合にもかかわらず、「5番右翼」で3打数ノーヒットという結果でも、投票で呼ばれることはごく普通だった。当時を風間は「毎回同じことしか言っていない。(チームメートから)『何もしていないのに』と言われたこともあったし、先輩からは『今日、もう投げなくていいから』と言われてましたね」と笑う。それほど高校時代の風間は注目の存在だった。

当然、でかでかと紙面の一面を飾ることもあった。風間は自らが掲載された紙面を寮の部屋の壁に貼っていたという。「どーんって載っているのを切り取って画びょうで止めて。小さい記事も入れたら8枚くらい貼ってました」と振り返る。ただ、プロ入り後は「もう話題性もないですし、一面はないですね」と言い、「まだ自分に実力がない。ゆくゆくはまた一面をたくさん貼りたいですね」と言った。

目標には今季1軍初登板も視野に入れるが、「急がない。急いだら段階を踏めないので。少しずつ。まずは泥くさく、2軍で投げるところからです」と足元を見つめる。高校時代に見せたスターの輝きを、プロの舞台で取り戻すために1歩ずつはい上がっていく。 【ソフトバンク担当・佐藤究】

横明徳対ノースアジア大明桜 力投するノースアジア大明桜先発の風間(2021年8月22日撮影)
横明徳対ノースアジア大明桜 力投するノースアジア大明桜先発の風間(2021年8月22日撮影)