オリックス岸田護新監督が誕生した。履正社(大阪)から東北福祉大、NTT西日本を経て、2005年大学・社会人ドラフト3巡目でオリックス入団。選手としても指導者としてもオリックス一筋の右腕に、バファローズは託された。
19年前の10月28日。大阪市内のNTT西日本で、オリックススカウトの指名あいさつを受けた岸田を取材した。まずはより具体的な抱負を聞こうと思っていたら、真っ赤な顔をした岸田に「すみません…」と謝られてびっくりした。えっと、何かありましたっけ?
実はドラフト会議の指名直後の会見で、2つの“うそ”をついたという。1つはプロで対戦したい選手についての答え。「清原さんです」と話したが、本心は「大学の大先輩の金本さんと対戦するのが夢」と、全く違っていた。さらに、理想の投手についても、楽天岩隈と思っていたにもかかわらず「野茂さん」と答えてしまった。
指名会見に、チームの同僚たちも心配するほど緊張し、とっさに頭に浮かんだ選手名を連発したという。迫力あふれる「投手・岸田」とは、まるで別人だった。極度の緊張から生まれた、仕方のないうそだったが、それを律義に訂正し、謝罪までした姿に好感が持てた。正直なルーキーだな、と思えた。
そのオフのオリックスは、長い低迷を抜けだそうと大補強を敢行。清原和博、中村紀洋らビッグネーム獲得に踏み切った。一塁・清原、三塁・中村をバックに投げる可能性について聞かれた岸田は「すごい方たちですよね。(一、三塁に)けん制球、投げられないですね」と吐露。悪送球でもしたらどうしよう、と今度は青くなった。ちょっと心配になった。
だが入団後の岸田は、こちらの第一印象をいい意味で裏切った。気迫あふれる姿で、相手打者に立ち向かった。赤くなったり青くなったりしていた姿など、どこにもなかった。2010年には抑えに転向。投球がチームの勝敗に直結する立場になった。リードを守り切れず、鬼の形相でマウンドを降りることもあった。厳しい顔つきのまま、担当記者の前に出てくることもあった。ただどんな試合後も、自分の言葉で冷静に自身の投球を語った。誠実な取材態度を貫いた。
監督になれば、ままならない状況に、いらだつこともあるだろう。それでも、誠実さは不変だと思っている。自分の言葉で語る流儀を守り続けてきた、揺るぎない誠実さだと思うからだ。【堀まどか】






