07年北京オリンピック(五輪)のアジア最終予選で、アマチュアとして最後に日の丸を背負った男が杜(もり)の都にいる。元楽天で現在は球団の営業部で働く長谷部康平氏(34)が当時を振り返る。

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「この中で投げるの? ウソでしょ?」。直前、台湾でワールドカップ(W杯)に出場していたただ1人のアマチュア長谷部は、最後の1人として星野監督率いる日本代表に合流した。

07年11月、日本代表練習で星野監督、大野コーチが見守る中、ブルペン投球する長谷部
07年11月、日本代表練習で星野監督、大野コーチが見守る中、ブルペン投球する長谷部

愛知工業大学の4年生。ブルペンに入ると、3レーンの真ん中だけが空いていた。「はっきりとは覚えてないですが、投げていたのは、ダルビッシュと成瀬だったと思います。キャッチャーは阿部さんと里崎さん。(星野)監督とコーチもズラッとそろって、言葉は悪いですが『拷問』じゃないかと(笑い)」。立ち合いで圧倒された。

国の威信をかけ、負けられない覚悟を目の当たりにした瞬間があった。「特に韓国戦に向けてというのは、その前の試合と比べると、やっぱり全然違うものがありました」。韓国は右のダルビッシュ先発と読んでいたが、実際は左の成瀬。「僕も(取材で)なるだけしゃべらないようにしていましたね」。情報管理を徹底した日本に対し、韓国も開始1時間前に提出したメンバー表からスタメンを入れ替えるギリギリの攻防を肌で感じた。

大学3年までは、春秋のリーグ戦とそれに連なる全国の舞台にピークを合わせればよかった。年間を通してトップパフォーマンスを維持した経験のないアマチュアにとって、日本プロ球界の精鋭たちが投げるボールは、1シーズンを戦い終えた後とは、とても思えなかった。「差ばかりを感じた」。最終予選で登板の機会はなかった。

17年2月、仙台駅前でシーズンチケットを販売する長谷部康平さん(左)
17年2月、仙台駅前でシーズンチケットを販売する長谷部康平さん(左)

5球団競合のドラフト1位で楽天へ。投げなかったあの3試合以上に緊張したことは「ないです、ないです」と即座に首を振る。「大学生でいきなり究極の状況を経験してしまったので、少々のことでは、へこたれないですよね。忍耐力じゃないですけど、ズッシリ背負うもの、プレッシャーだったり」。日本一に輝いた13年。母を亡くした2日後、告別式の日にマウンドに上がった左腕は勝利を呼び込む魂の投球を見せ、星野監督の思いに応えた。

現在は球団の営業部で新たな道に進んでいる。「今になっても、すごく大きい経験だとあらためて実感しますよ。野球をやめて、こういう仕事に移った時も、あそこまで追い込まれることは、そうそうない。野球生活全部含めて、経験させてもらったことが役に立っています」。日の丸を背負い、五輪切符を勝ち取った2週間は、人生に色濃く刻まれている。【亀山泰宏】