巨人の秋季練習がスタートした11月1日。山口鉄也3軍投手コーチ(36)は練習後すぐ、師匠のもとにあいさつへ向かった。

「今日からコーチとして、スタートします。今後とも、ご指導よろしくお願いします」。大きな体を深く折り曲げ、丁寧に頭を下げた。「おう、そうか。よかったな。一生懸命、頑張りなさい」。4球団で投手コーチを務め、今季限りで巨人の巡回投手コーチを退任した小谷正勝氏(74)からソッと肩に手を置かれ「小谷の指導論」を授かった。

小谷氏 まずは選手をよく見て、選手のことをよく知ることだな。出身地、出身校、家族構成…話をする上で大事なことだ。

山口コーチの脳裏に、あの時の言葉がよみがえった。育成選手だったプロ1年目の06年。唐突に「きょうだいはいるのか? お父ちゃん、お母ちゃんは元気か? アメリカまで行かせてもらったんだから、親孝行しないとな」と言われた。当時はただの雑談だと思ったが、コーチに就任する今、真意を知った。

「世に出た選手もいるが、その分、世に出なかった選手もたくさんいる。厳しい世界だけど、山口なら大丈夫だ」。メモを手に、背筋がピンと伸びた。

この1年、野球を始めた頃の原点に返った。昨年限りで現役を引退。ジャイアンツアカデミーのコーチに就任し、子どもたちに野球を指導した。「教えるのは難しいですけど、笑顔を見るたびに『野球は楽しいんだ』ってことを再認識した」。恐怖心、重圧と闘いながら、必死に腕を振り続けた13年間。忘れかけた感覚だった。

“育成魂”を胸に向上心を持ち続けた。引退後すぐに、パソコン教室で勉強。平日は東京・大手町の球団事務所に原則10時出社だったが、その前に週2回のペースで英会話の授業を受講した。その他の日は、事務所近くのジムでトレーニング。毎朝6時ごろの電車に乗って、会社員の間で流行する「朝活」を続けた。現役時代はシャイなイメージだったが、巨人戦のテレビ解説も務めるなど、新たな境地を開拓した。

川崎市のジャイアンツ球場で残留組の練習が始まった6日、コーチでの指導を本格スタートさせた。2年ぶりに袖を通したユニホームのポケットにはメモ帳を入れ、小まめに気付いたことやチェック項目を書き込んだ。現役時代、プロ野球史上初の9年連続60試合を達成した鉄腕が「第2の鉄腕」育成に尽力する。(この項おわり)

【久保賢吾】

◆山口鉄也(やまぐち・てつや)1983年(昭58)11月11日、神奈川県生まれ。横浜商を卒業後、米ルーキーリーグに所属し、3年間で7勝。入団テストを経て、05年育成ドラフト1巡目で巨人入団。07年4月に支配下選手登録された。08年新人王。09、12、13年に最優秀中継ぎ投手。18年限りで現役を引退。来季から巨人の3軍投手コーチを務める。09、13年WBC日本代表。現役時は184センチ、88キロ。左投げ左打ち。