自分を犠牲にしても、仲間と甲子園で戦いたかった。専大松戸(千葉)の石井詠己主将(3年)は、県大会準決勝で痛めた腰が悲鳴をあげていた。本来は遊撃手だが、甲子園では大森駿太朗二塁手(2年)と守備位置を入れ替えて出場。2回戦で長崎商に敗退後「このチームは支えて、支えられてやってきたチームでした」とつぶやいた。

自己犠牲をいとわない。現代社会では、その姿勢を良しとしないかもしれない。もちろん、それを美化しようとは思わないが、石井のチームを支える姿勢が、今年の強さを象徴していた。持丸修一監督(73)は「あの子なくして甲子園はなかった。自分を犠牲にしても頑張る姿をチームメートに見せ続けた。そういうところが、あの子を絶対に外せない。僕は最後まで石井を信じていました」と、絶大な信頼を置いていた。

昨秋、優勝候補と注目されながらも県3位に終わった。関東大会で4強入りしたが、頂点に立てない勝負弱さを露呈した。敗戦の責任を背負い「自分が主将でいいのか」と自問自答した。「自分の役目を見つめ直した。僕は監督とコミュニケーションを取れる方。監督と選手の意見をすりあわせるのが自分の役目だと心に決めました」。監督から言われたことに選手たちは「はい」としか返事をしなかったが、実は本当に理解をしている人は少ないことに気付いた。「再度、選手間で話し合い、わからないことは自分が監督に確認をする。お互いが納得するまで意見を出すようにしました」。時には自分の気持ちを押し殺し、50歳以上の年齢差を自分の言葉で埋めた。「感情で捉えるのではなく、相手にどう伝えるべきか。論理的に物事を考えるようになりました」。

時には陰で支えた。センバツの中京大中京戦では吉岡道泰外野手(3年)がダイビングキャッチを試みたが捕球できず、決勝のランニング2ランを許した。吉岡はその夜のことを一生忘れない。ホテルの部屋で1人で泣いていると、誰かが声をかけてくれた。「もう1度、夏、甲子園に行こうな」。吉岡は「声で石井だとわかりました。野球をやっていてよかった。僕にはこんなにいい仲間がいるのか、と思いました」。春季関東大会では持丸監督と話し合い、「吉岡に春の無念さを晴らさせるため」と主将を交代。表彰式で堂々と優勝旗を受け取る吉岡の姿を笑顔で見守った。

悲願の甲子園1勝を果たした夏。持丸監督は「石井をはじめ、選手たちは頼もしかった。生き生きしていた。秋の県大会、3位で終わったチームじゃなかったですね。勝負弱い子たちが、よく頑張った。ここまで成長できる。そう再認識しましたよ」と穏やかに笑った。キャリア46年のベテラン監督をうならせた今年のチーム。その陰には石井という主将がいたことを忘れてはいけない。【保坂淑子】