ロッテの谷保恵美さん(56)がZOZOマリンの場内アナウンサーとして、早ければ16日のソフトバンク戦で通算2000試合担当に到達する。20代の頃は姉弟で共同生活し、それぞれの足元を固めていた。

    ◇   ◇   ◇   

さいたま市のJR武蔵浦和駅からちょっと歩いた、別所沼の近くに姉弟のアパートはあった。「うち、けっこう小さい頃から仲良かったんで、楽しくやってましたね」。

5歳下の弟、寿彦さんとの共同生活。とはいえ、それぞれの毎日がある。顔を見ない日もある。家でも仕事はたくさんあった。資格取得への学校に通った寿彦さんは今でも覚えている。「姉はいつも、球場用のカセットテープを作っていたんですよ」。

90年代半ば、練習中にBGMが流れ始めた時代。浦和唯一のレンタルCD店で何枚も借り、ひたすら録音し、球場で流すオリジナルテープを作った。流行曲は自分も聞きたかったし、積極的に自腹で。「カセットなので45分とかでひっくり返さなきゃいけなくて。それも私たちの仕事で」。今でも石垣島キャンプ用のBGMを編集する。声に音楽に。場の空気を高める-。誇りが高まっていった。

2軍本拠地の武蔵浦和に居を構えつつ、マリンに通う。39度の熱で、弟に止められながら歯を食いしばって出勤した日もある。武蔵野線が風で止まれば、途中駅近くのカーディーラーに飛び込み、電話を借りて上司に連絡。タクシーで急行したが、結局強風で試合中止になったりもした。

根性の人は、休みは家にいた。弟と近所のスーパーで買い物をして、一緒に料理をして。「あっ、弟とはよくカラオケボックスに行きましたね、武蔵野線沿いの下にあったので」。大好きなドリカムや、上京して心に染みた松山千春、中島みゆきを熱唱した。

気が付くと、そんな青春時代からずっと放送室にいる。海浜幕張駅からマリンまで、32年たっても景色は同じ。暑さだけ変わった。「日本自体が南にずれたのかな、くらいの暑さですよね、この5月、6月は。もっと爽やかな春があったはずなんですけど、春もなく梅雨が来て、灼熱(しゃくねつ)になって」。

通勤路は変わらず、地球は変わって、自分は。「たまに帯広に帰ると、友達には『歩くのが速くなった』『しゃべるのが速くなった』って言われるんですよ。もっとノンビリしてたんでしょうね」。コロナ禍もあり、近年はなかなか戻れなかった北の大地。2000試合到達を目前に父が逝き、久しぶりに大空を何往復かした。窓側席に座って。【金子真仁】

(つづく)