激動の大リーグ1年目を終えた藤浪晋太郎投手(29)に7カ月間、密着し続けた男がいた。関西テレビの服部優陽(ゆうひ)アナウンサー(30)はなぜ休職してまで太平洋を渡ったのか。間近で見続けた“戦友”だけが知る藤浪メジャー挑戦の舞台裏に5回連載で迫った。

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服部アナウンサーは新居探しを早々に諦めた。藤浪の電撃トレードが決まった7月19日から1カ月が過ぎても、ボルティモアで賃貸物件すら見つけられなかったのだ。その間、右腕は駆け足で立場を好転させていた。ア・リーグ最低勝率のアスレチックスから同リーグ東地区首位のオリオールズに移籍。早々に中継ぎ陣の一角として重宝されていた。

8月6日のメッツ戦で日本人メジャー歴代最速の102・6マイル(約165・1キロ)を計測。同13日のマリナーズ戦では日米通じて自身初セーブも記録した。服部は安宿を転々としながら、いても立ってもいられず「戦闘服」を作製。右半分がアスレチックス、左半分がオリオールズのオリジナルユニホームは後に服部の代名詞となった。

「あれ、実は2枚のユニホームを前側のボタンで留めているだけなんです。後ろは浴衣みたいに縛っているだけ。カラクリを明かすと、現地のファンはみんな大笑いしてくれました」

富士山帽をかぶった謎の日本人はFUJIの活躍に比例する形で知名度を上げた。いつしか藤浪登板の際に大型ビジョンで紹介される流れが恒例に。家もないのに懸命に声をからす服部にサプライズプレゼントが届いたのは、もう秋風が吹き始めていた頃だった。

ようやくボルティモアに拠点を移した9月中旬。鎌田一生通訳兼パーソナルトレーナーと木下喜雄マッサージセラピストを含む「チームFUJI」が歓迎会を開催してくれた。オレンジベースのシューズとボールを手渡された時、服部は思わず目頭を熱くした。

「チームFUJIの3人って、みんな同じシューズを履いているんです。アスレチックスの時はグリーンのナイキのエアジョーダン。オリオールズ移籍後はオレンジのエアジョーダン。3人おそろいでいいなと思っていたのを気付いてくれていたのかと思うと…」

黒く汚れたボールには「Orioles 1st Win」「Happy Birthday」と書かれていた。藤浪が8月25日のロッキーズ戦でオリオールズ移籍後初勝利を手にした時のウイニングボール。同日は服部にとって30歳の誕生日でもあった。

結局、ボルティモアでは最後まで郊外の安宿を転々とした。治安の悪い地域でバス移動中、身の危険を感じた日もあった。そこまでして現地で藤浪とオリオールズの地区優勝を見届けた男は秋、完全にチームFUJIの一員として認められていた。

10月6日、服部は米国では初めて藤浪と2人で外食に出かけた。鎌田と木下がチームの「トレーナー会」に参加した夜、藤浪から誘いがあったのだ。右腕はこの日、翌7日に開幕する地区シリーズの登録メンバー外を告げられていた。

「本人は『そんな落ち込んでないから』と言っていたけど、そんなはずはなかったと思います。僕も悔しかったぐらいですから」

チームは地区シリーズ3連敗で終戦。服部は7カ月間の休職生活を終え、10月中旬に帰国の途に就いた。

「日本で久々にATMに行った時、少しだけ後悔しそうに…(笑い)。というのは冗談で、本当に後悔は全くありません。お金はまた一生懸命働いて節制してためればいいだけなので」

11月から関西テレビのアナウンサーに復職。24年は自室に飾ったオレンジのエアジョーダンを眺めながら、“戦友”の逆襲に一喜一憂するつもりだ。【佐井陽介】(この項おわり)

◆服部優陽(はっとり・ゆうひ)1993年(平5)8月25日生まれ、埼玉・さいたま市出身。早大時代に東京ドームでボールボーイを経験したことでスポーツアナウンサーを志し、16年4月に関西テレビ入社。スポーツキャスターとして活躍し、17年に第33回FNSアナウンス大賞で新人奨励賞、22年には第38回同大賞でスポーツ実況部門を最年少受賞。23年4月1日から休職して渡米し、同年11月より復職。168センチ。