プロ野球ドラフト会議が24日に迫る。華やかさも厳しさもある世界を志す若者たちは、人生の分岐点を前に今、何を思うか。今回は履正社(大阪)時代に夏の甲子園で胴上げ投手となり、東都大学リーグで成長した東洋大・岩崎峻典投手(4年=履正社)と、三菱重工East・山中稜真外野手(23=青学大)の元へ。
今夏、都市対抗野球優勝の中心には山中がいた。全5試合に3番として出場し、広角に鋭い当たりをはじき返す左の好打者として優勝に貢献。「入社以来、3番で使っていただいて。チームには感謝しています」とチャンスをものにした。
木更津総合(千葉)、青学大と強豪校でプレーしてきたが、プロには手が届かなかった。社会人では徹底した管理の下、トレーニングに力を入れ、体の強さを身に付けた。「調子の波がなくなり結果を残せるようになった」と、チームには欠かせない存在に成長。「小さいころからコツコツと積み重ねてきたものが、今につながっている」と、地道な日々を振り返った。
山中には忘れられないシーンがある。今夏、都市対抗野球で優勝したときのことだ。試合が終わり外に出ると、父竜美さんが駆け寄った。「お父さんを初めて越えたよ!」と、真っ先に報告。その時の父の笑顔は、心に深く刻まれた。
父は89年センバツに東邦(愛知)の主将で外野手として全国制覇。東海大、社会人の日立製作所でプレーした。山中が野球を始めた頃には現役を引退していたが、父の実家に行くたび、ズラリと並べられた記念品や写真を目にしては「父が歩んできた結果を超えてみたいとずっと思っていました」と目指す存在になった。
小2で父が監督を務める下倉田シャークスで野球を始めると、厳しい指導が始まった。結果が出ない試合や、覇気のないプレーには、罰としてグラウンドから家まで走って帰らされた。「本当に厳しかった」と振り返るが、野球に本気で向き合う姿勢を学んだ。
同じ社会人までプレーした父は、今では山中の一番の理解者だ。父が成し遂げることができなかった都市対抗野球での優勝を果たし、次の目標はプロ野球の舞台。「野球をやっている以上は目指したいと思っていました」。父も見たことのない世界へ。再び笑顔で喜びあいたい。【保坂淑子】
◆山中稜真(やまなか・りょうま)2000年(平12)12月14日生まれ、神奈川県横浜市出身。小学2年時に下倉田シャークスで野球を始め、横浜泉中央ボーイズ、木更津総合では2年夏は一塁、3年夏は正捕手として甲子園出場。青学大3年秋に外野に転向。三菱重工Eastでは23年スポニチ大会からレギュラーとして活躍。50メートル6秒1、遠投は105メートル。178センチ、82キロ。右投げ左打ち。





